PAL087便
パーム航空就航一周年







重大発表




皆さんもご存知のように、
パーム航空のURLは
これまで以下の通りであった。


http://www.linkclub.or.jp/~pito/f_pal/pal.html



見ての通り、
「pito」だの「pal」だのと、

やたらと長い!

数えてみたら46文字もあった。
ぶっちゃけた話、
機長自身もこのURLを
完璧に覚えちゃいない。
コピー&ペーストでなんとか使っている。

本日、
就航一周年を記念して、
そんなパーム航空のURLに
一大変革の時が訪れる。


【公式声名】

パーム航空就航一周年を記念して、98年11月8日より、
パーム航空の公式URLは以下の通りとなる。



http://palm.org
@   




思いっきり短い!

いきなり15文字になった!

これなら機長にだって覚えられる!

どういうことなんだ?
なんなんだ、それは?

説明しよう。

それはつい先日のことだった。

普段から読んでいるニュースメールの片隅に
こんな記事が載った。


国際ドメイン(.comなど)を日本語ページでゲット

「LINK CLUB NEWS DIGEST」(98.11.2)より



なお、「国際ドメイン」ってのは
「http://www.〜」の後に続くアレね。
「com」とか「co.jp」とかって奴。

面白そうじゃん!

そう思った機長は
さっそく指定のページに飛んだ。

そこに行くと、
そのページでは「com」「net」「org」の
国際ドメインをゲットできることがわかった。
(もちろん有料$80=2年で更新)

しかも、自前のサーバを持っていない人のための
「登録&転送サービス」ってものがあって、
取得したドメインから直接、
指定されたURLまで転送してくれるという
サービスまで用意されている。
(年額9800円の有料サービス。
自由に作れるメールアドレスが5つ付いてくる!)

ちょっと値段は張るけど、
これはいいんじゃないの?

しかも、ご丁寧なことに
同ページには、
「好きなドメイン名」が現在空いているかどうかを
調べる検索ページまで用意されていた。

機長はここで思った!

廣瀬さん「palmfan.com」みたく、
就航1周年記念企画として、
パーム航空のURLを
<http://www.palmairline.com>
に変えてやろう!

そこでさっそく、
このドメイン名が空いてるかどうか
検索してみた。

すると、さすがに「palmairline」というドメイン名は
「com」「net」「org」ともに空いていた。

そりゃそうだろう。
こんな名前、他に使いたい人なんかいる訳がない!
よし、これを購入しよう!
・・・と思った瞬間、
機長はあることに気づいた。

せっかく自由なドメイン名を選べるのに
「palmairline」は長い!

覚えやすいけど長すぎる!


そうだ、もっと短いのにしよう!

そうなると、
「Palm Air Line」の略称
「pal」がいい!

さっそく「pal」を検索した。

すると、
「com」「net」「org」ともに全滅した。
つまり、すでに世界のどこかで使われているらしい。

確かに、
「pal」って言葉は語呂もいいし、
だいいちペンパルとかでおなじみの「友達」という
英語の単語でもある。
そんな素敵な言葉が残っている訳がなかった。

う〜ん、困った。

そこで機長は
「palm-al」とか「p-a-l」とか「palmair」とか
いろいろ略語を作っては検索してみた。
どれも「com」「net」「org」のすべてで空いていたが、
やっぱり略語として無理がある。

困ったな〜。

ここで機長は少し頭がおかしくなった。

どうせなら、「palm」も調べてみよう。
ま、そんなもん、残ってる訳ないけど・・・。

で、「palm」で検索してみた。

すると
・・・
空いていた!

これはもう偶然と言うほかないが、
「com」「net」は埋まっていたが、

「org」だけが空いていた。

ここからの機長の行動は、
衝動以外の何者でもない!

国際ドメインは
とにかく早い者勝ち!


・・・という話は、以前何かで読んだことがある。

とにかく予約してしまえ!

機長は「palm.org」に登録申請だけしてしまった。
あとは、米国WORLDNICにあるデータベースへの
登録確認処理だけが残る。

ここで指一本差で他人に遅れたら
「palm.org」は他人のものになる。
それが国際ドメイン界の掟!

某有名百貨店の名称と同じドメイン名が
エロサイトになってしまったり、
ビッグなドメイン名をあらかじめ買い占めて
商売するアコギな商売も存在すると
聞いたことがある。

そんな国際ドメインの審査の結果は
登録申請のメールを送った
三日後に届くことになっている。

ええい、ままよ!

登録申請フォームを送るまでは
ほとんどマシンのように、
キーボードを高速連打して、
必要事項を記入していった。

そしてフォームを送った。

実は、この「palm.org」というドメイン名の
本当の価値を知ったのは、
フォームを送信してから後のことだった。

というのも、ところで
「palm.com」「palm.net」って
誰が使っているんだろう?と
ブラウザで調べてみたら
どちらも「Palm Conputing社」だったのだ。

そしてなぜか「palm.org」だけが空いていた。

これについては、ちょっと恐くなったので
インターネットに詳しい友人に訊いてみた。
パーム航空が「org」なんて使ってもいいの?

その答えはこうだった。

「org」の規定を調べてもらったところ、
以下のように出ていたそうで、


The top level domain designated for miscellaneous entities that do not fit under any of the other top level domains. Typically used for non-profit organizations. One of the worldwide top level domains.
@@


要するに、非商用サイトである「パーム航空」が
このドメイン名を使うことはとくに問題がない
ということだ。

なお、その後わかったことによると、
「com」「net」「org」の3つには本来それぞれの
意味があるが、最近ではとくに厳密な区分けを
されることなく使用されているらしい。

たぶん「palm.org」が空いていた理由は
「Palm Conputing社」が商用サイトとして
道義的に「palm.org」の使用を控えたためと想像され、
それ以外の人間は「palm.org」なんてドメインが
空いていることをこれまで
誰も想像だにしなかったのではないか?
と、思う。

実際、「palm」という単語には
「手のひら」「椰子・ヤシの木」などの意味があるから
たとえ「Palm III」の登場が昨年だったとしても
ここまで手つかずで残っていたのは奇跡に近い!

(もしかしたら、ずっと手つかずだったわけじゃなく
つい最近、誰かに放棄されたのかもしれないが・・・。
たとえばLAのヤシの木屋さん、とか)


というわけで、機長はそれからの3日間、
同登録代行業者からの返事を待った。

首を長くして待った。

そして2日目。

「無事取得されました」というメールを受け取った。

それと同時に
理由はよくわからないが、
この国際ドメインは<http://www.palm.org>
「www.」を略した<http://palm.org>でも
使えることがわかった!

なんて短いんだ!

というわけで、
今日からパーム航空のURLは
<http://palm.org>
・・・という、とっても短いものになった。

もちろん<http://www.palm.org>でも大丈夫!

もっとも転送サービスだから、
いったん転送されると、いつものURL
<http://www.linkclub.or.jp/~pito/f_pal/pal.html>
なってしまうのだが。

あと、せっかくだから、
メールアドレスの方も変更して、
新しい「palm.org」のものにする。

(詳しくはココ!)





リンクボタン




なお、URLが変更になったのを記念して、
ずっと作ったことのなかった
「パーム航空」の公式リンクボタンを作った。









上から、大・中・小・極小と4タイプ。

リンクは自由だが、
必ず機長宛まで連絡を貰いたい。





機長の秘密




さて、続いては、
就航一周年を記念して、
パーム航空一年間の歩みについて
ちょびっと振り返ってみたいと思う。

通常の世界じゃ、
1年なんて意外と短い期間だが
ネットの世界では意外と長かったりする。
不思議な世界だ。

ま、それはともかく、
先日の審査OFFの時に
痛切に感じたのだが、
さすがに現実世界で「機長!」とか呼ばれると
不思議な気がする。

このページに来てくれている人にとっては
機長は「機長」だが、
機長は普段「機長!」と呼ばれずに暮らしているので、
とたえメールなどでしょっちゅう「機長!」と呼ばれ、
自分でも「機長」と名乗ってはいても、
いきなり生身の人間から「機長!」とか言われると、
昔、ロンドンの街角で「社長サン、スケベ好き?」と
白人男性に声をかけられた時以来の
妙な気持ちになる。

俺は「機長!」じゃない!

でも、「機長」と名乗り続けてはや1年。
今さら「機長!」じゃない!と言い出すのも
なんなので、やっぱりこれからも
「機長」で行こうと思う。

ところで、「機長」と名乗るようになってから
当然のことながら、
ネットや活字出版物で「機長」という文字を見ると
ビクリとする。
先日も中華航空機で「機長がハイジャック!」と
出ていた時にはめちゃくちゃビックリした。
俺は何もしていない!

ま、そんな余談はともかく、
では、なぜ機長は
「機長」と名乗るようになったのか?

実は、定期便PAL001便には
「機長」なんて名前は出てこない。
それどころか、1人称は「私」だったりする。


ウヒョヒョ!状態だったをピンチが襲った。



すっげえ普通。

では、同PAL002便はどうか?
ここにもやっぱり「機長」は出てこない。


なお、の記憶が確かならば、



・・・などと鹿賀丈史みたいなことを言っている。

そして、
同PAL003便で初めて
「機長」という1人称が初登場する!


機長の訳には多少問題があるかもしれないが)



これ以降、機長は「機長」になった。

では、なぜ「機長」なのか?
というと、

当時のサイト名が
「マックで機長」

だったからだ。

英語表記では「Mac de Pilot」
「de」なんてフランス語を使いながら
英語表記ってのもなんだが、
要は、Macintosh×Palm Pilotユーザ専用のサイト名として
悪くないな、と思ってこの名前をつけた。

最初に考えたトップページのイラストは
マクドナルドの店頭で
ハンバーガーを食べているパイロットの姿だったが、
結局はこうなった。



実際、当時は国内に
Palm/Pilot系のサイトも今ほどは多くはなかったから、
Macintosh系のPalm/Pilotサイトというものは
当然のように存在しなかった。

たまたまPowerBookとPalm Pilotの接続が
うまくいかないって事件が、
当時のPilot-ML(現PalmPilot-ML)界で話題になっていて、
たまたま機長もこの問題で苦しんだ直後だったので、
とにかくその話を書いてみよう!と
始めたのが「マックで機長」の始まりだった。

ちょっぴり話をさかのぼると、
機長とPalm Pilotとの出会いは、
昨年(1997年)の夏だった。


ちょうど神様のJ-OSシリーズが
「J-OS Pro」と名を変えて秋葉原のIKESHOP
貧弱な紙箱に入って市販されたばかりの頃で、
この時期、日本のPalm/Pilot界は
初めてメジャー化への第一歩を踏み出した頃だった。

日本のネット上でも、
第二世代のPilotである
「Palm Pilot」の発売に刺激されたように
J-OS Proのβテストが始まった同年春には、
Pilot-MailingListが始まり、
ずっとNIFTY-ServeのFNOTE(だっけ?)の
1会議室に過ぎなかった
みのたんさんたちの「Pilot会議室」が
「FPILOT」として独立した時期であり、
同年5月中頃には廣瀬さん
「Pilot/Palm Pilot Fan」(現palmfan.com)
翌6月末には林さん
「Palm Pilotのページ」
活動を開始した時期である。

海外では
それまでPilot系最大のメジャーサイトであった
Adamsさんのサイトが終了したが、
入れ替わるようにStingerPilot H.Qなどの
Palmwareサイトが次々と誕生した。

そんなPilotがこの世に誕生して1年とちょっとの時期に
機長はPalm Pilot Proを入手し、
この世界に飛び込んだ。

やがて、当時「Palm Pilotのページ」
話題になっていたConceptKitchenの商品群に関しての
メールで林さんとの交流が始まり、
だんだんと、そんな林さんに刺激され、
その応援を受けて、
このサイトが始まることになる。

いろいろ事情があって、
最初は短期間のきまぐれサイトのつもりだった。
が、いろいろ事情があって、
その後1年間も続くとは・・・
まさか思ってもみなかった。

さて、「マックで機長」としてスタートした
このサイトだが、やがて
Macintosh以外のユーザにも関連する情報が
増えてくるようになって、
そのタイトルが厄介な存在になってきた。

「マックで機長」・・・どう見たって
Macintoshユーザのためのページだ。

そこで、同じ内容ながら
もう一つの扉ページを作った。
それが「窓でも機長」
Windows demo Pilot)だ。



最初は「窓から機長」(Windows Color Pilot)という
タイトルにしようと思ったが、
Colorって単語が強すぎて意味がわからないな〜、
ってんで「窓でも機長」に落ち着いた。

この頃から、
定期便のメニューにおなじみのこのマーク(下図)
つけて、「Mac」と「Win」ユーザに
便宜を図るようにした。

 

さて、年が明けて1998年、
前年の暮から始まった
Ozakiさんの「PalmPilot Webring」に参加することを
決意した機長は、
ここで重大決意をした。

同じサイトでタイトルと扉ページが2つもあるのは
訳がわからん!

「PalmPilot Webring」への参加をきっかけに
タイトルの統一をしよう!

そこで生まれたタイトルが
「パイロット航空」
Pilot Air Line)である。




「パイロット航空」・・・

それはちょうど
「機関士鉄道」や「運転手タクシー」みたいで、
たぶんどこにも存在しないだろう、
誰も抗議なんかしてこないだろう、という
ただそれだけの理由で決めた。

まあ、その頃には
「機長」という名前にも
機長自身、慣れ始めていたし。

TopPageなんかのコメントでも
「航空会社」を意識したコメントが多くなっていたので、
まあ、自然な流れでもあった。

こうして「パイロット航空」は
Macintosh・Windowsユーザを問わない
Palm Pilot系エンターテインメント情報サイトとして
同年2月24日にデビューした。

ちなみに、その時の最初の特集記事が
定期便PAL021便「SCOOP!」
「PalmPilot Webring」のおかげもあって、
この日から読者はドドドっと増えた。

ところで、
ここでまた話は少し前後するが、
今では日本のPalm/Pilotワールドで
当たり前のように使われている「神様」という言葉が
生まれたのはちょうどこの頃、
1997年12月28日の
定期便PAL007便においてだった。

のちに機長が、その宣伝部長か宣教師のように
薦めまくった愛用のPIMソフト「Datebk3」
初めて紹介したこの記事の中で、
当時、ほぼ同時にリリースされた
「Datebook+ 2.0b1」に触れた記事のタイトルを
機長はこう書いた。


作者は生き神様



これが「神様」の誕生であり、
この記事の中ではまだ「山田達司さん」と
ごく普通に呼んでいたが、
次第次第に機長は「神様」
まるで普通名詞のように呼ぶようになっていった。

そんな神様から初めてメールをもらったのが
1998年1月19日。
その時の興奮は
定期便PAL012便に詳しい。


なんと神様から手紙が届いてしまった。



さて、この頃からPalm/Pilotワールドでは、
(正確にはその前年末頃から)
話題は新型Palm/Pilotである
Palm III一色に染まっていた。
名前はこうだ、形はこうだ!と
さまざまなスクープが飛び交っていた。

これに万年筆の(株)パイロット
Microsoft社との名称論争などもあって、
「パイロット航空」はほとんど連日
この手の話題を取り上げていた。

そんなさ中、
機長が気になっていたのは
新型マシンの名前からPilotが消えた場合、
これまでPilotという名前一色だった
Palm/Pilotワールドのサイト名称はどうなるのか?
という問題。

これは機長の「パイロット航空」とて
例外でなかった。

そんな時、
林さん「Palm Pilotのページ」
こんな文章を書いた。


それより僕は、
「パイロット航空」の方が心配、、
「パーム航空」?、、南国の航空会社みたいだ〜(^^;)。
日本語だと区別がつかない、、。



実はこの文章がきっかけで
現在の「パーム航空」が生まれた。

この辺の話は定期便PAL025あたりが詳しい。

この定期便には、
林さんの一文を元に書いた
「パーム航空」のTopPage用画像の想像図を
載せているが、
現在のものとはちょっと違っている。(下図)



続いて、同じ「Palm Pilotのページ」
以下のような文章が出た。


「パイロット航空」(旧「マックで機長」)に
「暇ネタ」が追加されています。
 3月2日に「パーム航空」って書いたんですが、
その時にふと想像した通りの絵が、、。

さすが機長さんです。
ちょっと胸毛が濃いですが、、(^^;)。
ほんと想像した通り。
う〜ん、永井博の世界です(^^)。
いいな〜「パーム航空」。
ちょっとモワ〜ンとしてて、、。

スチュワーデスさんが後ろにいると、
さらに良いと思うのですが、、(^^;)。



これで、現在のものと
ほぼ同じデザインが完成する。(下図)



これでもまだ現在のものとはちょっと違う。
【クイズ】どこが違うでしょう?

さて、
その後の「パイロット航空」では
Palm IIIのスクープ画像や、
Datebk3のバージョンアップなどで盛り上がりつつ、
当時のホーム空港だった「bekkoame」の調子が
異常に悪くなったため、
98年4月13日に急遽「butaman」空港に移転した。

ここはとっても素敵な空港(もちろんプロバイダね!)
だったが、もともと長期計画を建てていた
容量50MBもの無料ホームページが貰える
「LINK CLUB」との契約が成立したため、
同4月25日にはまたまた空港(だからプロバイダね!)
を移転することになった。

現在の「LINK CLUB」空港への移転。
これを機に同サイトは名前をまたまた変えた。
それが「パーム航空」
(Palm Air Line)である。(下図)



この直後には
初の提携会社(姉妹サイト)である
ROBINさん「銀河鉄道 P.A.L.M.」も誕生している。

また、サイト名変更とほぼ同時に
本物のPalm IIIも手に入れた。

また、福本さんのご好意により、
パーム航空初の公開ソフト「TimeCalc」も公開した。

そして同6月9日には50,000アクセスを記録。
(なお、アクセスカウンタの開始は
パイロット航空の就航と同じ2月24日から!)


パーム航空内のPalm/Pilot情報量が異常に減った
フランスワールドカップ98の直後には
Datebk3絡みで、ゴリラ保護の表彰も受けた。
これは嬉しかったな〜。

そして、7月頃からは、
これまでの「定期便」一本槍の体制から
「時刻表」メインの構成に変えた。

この結果、パーム航空名物のイラストも
減ったりしていろいろご意見も貰ったのが、
実はこれ、機長がだんだん忙しくなってきて、
これまでのような体制で更新できなくなったためだ。

「時刻表」(つまりTopPage)中心の更新は
実に楽に出来る(AppleScriptを使うとボタン1個!)
「定期便」のような別ページの更新は
ページ制作のみならずアップロードまで
含めて意外と手間がかかるものだ。
それを簡略化するための「時刻表」中心主義なので
ご容赦願いたい。
それでも、たまには「定期便」も飛ばすからさ。

「たまに」「定期便」ってのも
妙な日本語だが・・・。

この後のことは省略。
どうしても知りたかったら
「時刻表」アーカイブで
7月以降の過去記事を読んで欲しい。




Palm三国志




ところで、パーム航空1年の間に
Palm/Pilotの状況もかなり変わってきた。

パーム航空が就航したばかりのちょうど1年前、
Palm/Pilot界の最大のテーマは、

(1)新型Palm/Pilotはどうなるか?
(2)そのライバル(Palm PC)はどうなるか?
(3)名称問題はどう決着するのか?

まず(3)に関しては、
(株)パイロットとの「Pilot名称問題」3Com社が負けて、
新型マシンの名称からPilotが消えて「Palm III」となった。
続いて、Microsoft社との「Palm名称問題」では
今度は3Comが勝って、Microsoft陣営の「PalmPC」は
「Palm-size PC」との名乗らなければならなくなった。
1勝1敗。まずまずの結果だった。

そして(1)に関しては、
98年春にPalm IIIがついに発売された。

これは決して革新的ではないが
より洗練されたデザインと
相変わらずシンプルな構成で
合格点をつけた。

そして(2)について。

一方、Palm-size PC陣営は
素晴らしいハードに最悪のソフトという
組合せで、世界標準のOSとの連携性という
その特徴を生かしきれなかった。

その結果、予想されたほどの
MS陣営からの数字的巻き返しはなく、
Palm IIIは驚異的というほどではないが
やはり売れ続けた。

その結果として、
MS陣営はテコ入れを始めた。

しかもそのマシンにではなく、
例えばPalm/Pilot陣営の人材引き抜きや、
Palm OSそのものの買収という作戦で。
今のところ、これで大きな成功を収めているとは言えないが、
最近ではPalmOSを携帯電話機に押し込めた
pdQを発表したQUALCOMMMicrosoft社
合弁企業を作ったというニュースも伝わってきた。
さて、これからどこまでこういう作戦は進むのか?
こういう戦略をとらせたらナンバー1の会社だからな〜。

一方、Stebe Jobsの戦略がハマってなんとか復興の兆しを
見せ始めたApple社もNewtonの後釜PDAの母体を狙ったのか
一時期、Palm OSの買収に動いたという。

やっぱりPalm/Pilotは最強PDAのポジションにいた。

一方で、
ネットワーク部門の相次ぐ減収入で
最初は「合併の連れ子」くらいに思っていた
Palm/Pilotに対する3Com社の愛情が強まってきた。
夏頃からは、
時期Palm/Pilotと噂される
Razorなどの情報も漏れてくるようになり、
Palm/Pilotの未来は明るい!
誰もそう思っていたその時に、
衝撃的なニュースが飛び込んできた。

Palm/Pilotの生みの親である
Jeff HawkinsDonna Dubinsky
揃って3Com社を退社!

その理由は、もう一度
起業家としての減点から始めたい。
企業向けではない民間向けの廉価版を作りたい。
・・・というものだった。

続いて、
同社の販売方面の責任者であったEd Colligan
Palm OSのGUI方面をデザインしたと伝えられるRob灰谷
Palm Computingの古株達が次々と二人を追った。

彼らはほんの数日前「HandSpring」という会社を創設した。
来年末には新型PalmOS互換機を発売するというが
この動きは何を意味するものなのか?

機長などは「今の3Comのやり方ならまだまだ
それを覆せる程度の隙がある!」とも理解したのだが、
どうだろう?

Mac系の人なら、これらの話を聞いて
Apple社NeXT社の古い寓話を思い出すかもしれない。

さて、昨日飛び込んで来たニュースによると、
「HandSpring」を作ったメンバー達の離脱によって
3Com社は早くも開発スケジュールに
トラブルを抱えつつあるという。

なお、この記事の最終行には
気になる数字を見つけた。
Palm/Pilotの現在のシェアは40%。
一年前の70&近い数字から
すでに30%も落ちていたのか?

「Palm Pilotのページ」より
「発売遅れるPalm Pilotの新製品」

※その他の近況ニュースに関しても
やはり
「Palm Pilotのページ」が詳しい。

う〜ん、どうなるんだろう?

ここで、役者が揃ってきた。

3Com社
HandSpring社
Microsoft社

なんか思い出すな〜、
「三国志」

※機長は、
一時期この「三国志」にハマりにハマって
定番通り横山光輝から入って
「三国志演義」まで行っちゃった!


どこの会社が
「魏」で「呉」で「蜀」なのかは
あえて書かないが、
これからますます目が放せない
「手のひらの上の三国志」

英語で書くと、
「The Three Kingdoms on the palm」!



とにもかくにも、これからも
2年目の「パーム航空」をよろしく!





じゃ。







1998年11月8日






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