PAL144便
Palm Air Lineの謎

Merry Xmas on your Palm!



2000.1.5 Updated







ドメインという名のもとに





今回の話は、Palm/WPJそのものとは
まったく関係のない話だ。

でも、機長はとても驚いた。
パーム航空今年の10大ニュースなんてものが存在するとしたら
年末のギリギリになって
いきなりベスト10圏内に飛び込んできたって感じか・・・。

さて、驚いてばかりでは話が進まない。

いったい何が起こったのか?

キーワードは「Palm Air Line」。
そう、このサイト「パーム航空」の英語表記だ。

このサイトの名前は
初め「マックで機長」(Mac de Pilot)だった。
これは名前の通り(?)、
Macを母艦とするPalm/Pilotユーザのためのサイトだった
ことに由来する名前だ。
それが、MacユーザもWinユーザも巻き込んだ
Palm/Pilotサイトとして生まれ変わった時に
「パイロット航空」(Pilot Air Line)と言う名前に改名した。
ところが、諸々の理由により3Com社が
「Palm Pilot」が「Palm」に改名
したことを受けて、
98年4月25日に現在の「パーム航空」に再度改名した。
英語表記も「Pilot Air Line」を受けて
「Palm Air Line」とした。

開始日

日本語名称

英語名称

1997.11.8〜

マックで機長

Mac de Pilot

1998.2.4〜
(併用時代)

マックで機長

Mac de Pilot

窓でも機長

Windows demo Pilot

1998.2.24〜

パイロット航空

Pilot Air Line

1998.4.25〜

パーム航空

Palm Air Line


「パーム航空」も「Palm Air Line」も、
もうかれこれ1年半以上使い続けている、
かなり馴染みある名前だ。

その「Palm Air Line」に今回一大事が起こった。

もったいぶらずに早く教えろよ〜!

まだ待て。

まずは、事件の数分前からプレイバックしてみよう。

事件は12月15日夜に起こった。

そのきっかけとなったのは、
とあるMLだった。
機長が参加している某Palm/WPJ系ユーザグループの
メーリングリストにある一通の投稿。
これが今回の事件の引き鉄となった。
普段、そのMLではあまり活発な参加者ではない機長だが、
ちょっと気になる内容がこの投稿にはあった。

それは、とあるML参加者が最近、
新しいドメインを取得したことに関して書かれた内容で、
その参考文献として、
この投稿記事では
「パーム航空」内のとある記事を引用していた。

そこで機長としても
そのままに読んだままほうっておく訳にもいかず、
返事を書くことにした。

返事自体はどうってことのない内容のものになって
しまいそうだったので、
機長は、ちょっとしたサービス心を起こして、
いくつか「パーム航空」に絡んだドメイン名の
現状をこの投稿の中で紹介することにした。

そこで、
世界中の登録ドメイン(com./net./org.)が登録されているかどうか?
を調べる「ドメイン検索サイト」を使って、
そこで検索した結果を
次々と書き記していくことにした。


1998年秋


まず最初に調べたのは
「palmair.com」
というドメイン。

これはかつて(1998年秋)、
現在のドメインである「palm.org」を見つけた際にも
「palmairline.com」とともに検索してみたことがある。

その時、たぶん誰も使っていないだろうと思っていた
「palmair」が使われていたことに驚いた記憶がある。
「palmair」を日本語訳すれば
「椰子の風」。

まあ、なんだか気の利かない西海岸の
サーフショップかカフェテリアがこの名前をつけたとしても
誰にも責められないほど、ありがちな名前だから
まあ、いいんじゃないの?
そう思った。

そしてもちろん、
抑えられていたのは「com」だけで、
「net」「org」も空いていた。
ま、こんなもんだろうと思った。


1999年秋


そして今回(1999年秋)も「palmair.com」
98年秋と同じ結果だった。
つまり「com」だけ取得済みで、
「net」「org」も空いていた。


1998年秋


なお、1998年秋には、
「palmair.com」とともに、
「palmairline.com」という正式名称通りだが、
長ったらしくてあまり気が進まないドメインについても調べてみた。
その結果は、ありきたりだった。
そう、当然のように「com」はもちろん、
「net」「org」も空いていた。
そりゃそうだろう。


1999年秋


続いて今回(1999年秋)、「palmair.com」に続いて
検索してみたのは
「kicho.com」だ。
たぶん正確なローマ字表記とは思えないが、
「機長」の英語表記は「kicho」にしている。
なんか字面がいいから、
というそれだけの理由だが、
ずっと「kicho」でやってきている。

「kicho.com」というドメイン名は、
最初「palm.org」をとった頃には当然のように空いていた。
そりゃそうだろう。
こんなドメイン欲しがる奴は世界中で機長くらいな
もんだろうと思った。


1999年2月頃


ところが、
前述のドメインで悩んだ時期(1999年2月頃)に、
真剣に新ドメインに変更しようと思ったことがあって、
「palmairline,com」は長すぎるし、
やっぱ「kicho」だろう、と思って「kicho.com」を調べてみたら
埋まっていた!!

え?!と、この時は驚いたが、
やがてその理由はわかった。
「kicho」には「機長」とは別の
ちゃんとした意味があったのだ。

【コラム】「kicho」のもうひとつの意味


それを知ったきっかけは
たまたま見つけたMacintosh用のソフトの名前だった。
1999年5月末頃にリリースされた
「Kicho Ver.1.0.1」というそのソフトウェアの
機能は「caps lockキーが押されている状態
でshiftキーを押しながらタイプすると、
小文字の入力を可能にする」というもので、
あんまり機長には嬉しくない地味なソフトだったが、
何よりも気になるのは、その日本語チックな名称のソフトが
アメリカにあるソフトウェア会社
「TriVectus社」の作品だったことだ。

なぜこんな名前なんだろう?
・・・と当時の時刻表に書いたら
すぐにマボスパ管制官という読者から連絡が来た!
この読者はわざわざTriVectus社の社長さんに
メールで問い合わせてくれたのだ。
そしてわかった「kicho」の意味とは?!

なんでも武道のテコンドーの型の名前で、
正確に言うと、
「テコンドーの3つの型("Kicho series")の中の、
初心者が習う最初の型のこと」
だそうだ。
しかも、その語源は日本語らしくて、
「基礎」がナマったものだと言われている。
おまけに、そんな「基礎」を学んでいる「者」、
つまり、「テコンドー初心者」のことを
英語で「kicho ja」というらしい。
「基礎・者」という意味だと思うが、
カタカナ表記で書くと、
「キチョウ、ジャ」となる。
あまりにも出来すぎた話だが本当の話だ。
しかも、この読者が
日本では「kicho」とは「pilot」の意味なんだよ、と
同社社長に教えたところ、
TriVectus社の全社員3名のうちの
2人が飛行操縦士の資格を持つ「Pilot」だったので、
同社の社長までもが驚いた、という
訳のわからない後日談までついている。

(この辺の事情は
このページの1999年5月30日〜31日に詳しい)

※その後、こばやし管制官からの報告で、
この「kicho」は韓国では普通名詞になっていて、
しかも漢字表記はまんま「基礎」であることもわかった。

(この辺の事情は
このページの1999年6月3日を参照のこと)

ずいぶん話が脱線してしまったが、
という訳で、「kicho.com」
誰かにとられている理由はなんとなくわかった。

たぶん誰かがテコンドーに絡んだホームページを
立ち上げるんだろう。

そして実際、いつ頃だったか忘れたが、
テコンドーのイラストが描かれた
準備ページ(どっかの外国語)まで登場した。
機長の予想は見事に当たった!



1999年秋


そんな「kicho.com」が、
今回(1999年秋)の検索では、「com」はもちろん
「net」「org」も空いていた。

どうやら、某国のテコンドー好き青年(?)による
ホームページ作戦は失敗に終わったらしい。

さて、ここまでの星取り表を整理すると、
こうなる。

1998年秋


palm.org取得申請時
-

.com

.net

.org

palm

空き

palmair

空き

空き

palmairline

空き

空き

空き

kicho

空き

空き

空き



1999年2月頃


ドメインの危機!
-

.com

.net

.org

palm

palmair

空き

空き

palmairline

空き

空き

空き

kicho

空き

空き



1999年秋


今回の調査!
-

.com

.net

.org

palm

palmair

空き

空き

palmairline

-

-

-

kicho

空き

空き

空き



さて、ここまで来ると、
勘の鋭い読者も、そうでない読者も
そろそろ今回の事件のヒントが見えてきているはずだ。

そう!

本当に気まぐれで、
いちおう確認のつもりで
機長は今回も「palmairline.com」を調べてみたのだ。

すると!!

「palmairline.com」
何者かの手によって
取得されていたのだ!


驚いたね、さすがに。
もちろん「net」「org」は無傷のまま残っていたが、
「palmairline.com」という「パーム航空」と
まったく同じ名前のドメインが
すでに取得されていたのだ。

クイズ!パーム航空


【問】
次に機長がとった行動は何か?

【答】
さっそくブラウザに
「http://www.palmairline.com」
打ち込んで開いてみた訳さ。



そのリンクがめくれる間にも
機長はいろんなことを考えた。

まさかどこかの南国に、
まさに「Palm Air Line」という名前の航空会社が誕生した?!

開いてみたら「ふふふPalm」だった、とか。

それこそ、いろんな可能性を考えていた。

ブラウザが「http://www.palmairline.com」を開くまでの
ほんの数秒間の間に!

まず最初にタイトルが見えてきた。

タイトルバーには「Coming Soon...」と書いてある。

じゃあ、まだ準備中なんだ?
でも、誰かがこのURLにいることはわかった。
じゃあ、すでに準備ページがある?
それとも???!!!

またまたいろんなことを考えたさ。
ほんの数秒間の間に。

そしたらとうとうページの全貌が見えてきた。


Coming Soon!

We recently registered our domain name at...
registercom



日本語訳するとこういうことだ。


近日公開!

私たちは下記の会社でドメインを取得しました
レジスターコム



この日本語訳を読んでもらえばわかるように、
「register.com」とは国際ドメインの販売業者らしい。

ご丁寧にも、このページには
ドメイン検索フォームまでついている。

ここで「http://www.palmairline.com」を検索してみると、
以下のような表示が出てくる。


Taken
palmairline.com is taken
Click on the link to see who owns this name



そして、このドメインの取得者まで
わかってしまったのだ。

あえてその名前は書かないが、
取得日は99年11月14日。
つまりちょうと一ヶ月前に
このドメインは取得されている。

取得したのは、登録者の名前を信じると、
アメリカ・カンサス州に住む女性、キャシー(仮名)。

彼女はいったい何物なのか?!

う〜ん、気になるぜィ!

クイズ!パーム航空


【第2問】
この次に機長がとった行動は何か?

【第2問の答】
さっそくメールで
米カンサス州に住む「palmairline.com」を持つ女性宛に
質問のメールを送った。

「私はあなたを訴えるつもりも何かを声高に叫ぶつもりも
まったくありません。
ただ、真実が知りたいのです。
もしも可能ならば、あなたの取得したドメインの意味を
教えて貰えませんか?」



この質問メールを送ったのが
12月14日。

ちょうど赤穂浪士討ち入りの日だ。
だからどう?って訳ではないが、
覚えやすい日付だったので
たまたま覚えている。

ところが、待てど暮せど返事が来ない。

そんなうちにも、
今回のドメイン事件発覚のキッカケにもなった
某UGのメーリングリストの書き込みの主・プロブレムさんから
面白い情報が届いた。

メーリングリスト内の情報のため、
あえてダイジェストで紹介する。

プロブレムさんからの情報


「Palmair Flightline BAe146 Whisper Jet」
http://www.palmair.qpg.com/

「パーム航空」扉絵の飛行機・・・とはちょっとちがうかも。
でもビックリ。(これも既報ですか?)

「PALMAIR」
http://www.bathtravel.com/palmair.html

旅行会社の広告? 画像がでかい!

今回の件も"palm air line"じゃなくて"palmair + airline"とかの
可能性がああるんじゃないかと思います。



なるほど。

その可能性はあるかも。

ちなみに、現在の「palmair.com」ドメインの持ち主はこちら!

「PALMAIR」
http://www.palmair.com/

どうやらカーエアコンの会社らしい。

もちろん、「palm.com」と「palm.net」の持ち主は
ご存知のように下記の通りだ。

「Palm Computing」
http://www.palm.com/

「Palm.Net Service」
http://www.palm.net/

なお、前述のプロブレムさんからは
どうやらカンサス州の女性に「palmairline.com」を売った
「register.com」に関する情報も貰った。

プロブレムさんからの情報


「register.com」というのは、
民間ドメイン登録代行業のさきがけだそーです。

参考記事:
register.comがドメイン名登録業務を開始、
NSIと競合する初の民間業者

( 1999/06/08 )



・・・と、プロブレムさんのおかげもあって、
周辺情報は入ってくるのだが、
肝心のカンサス州の女性からの返事は来ない。

もっともドメイン取得には
多くの場合「ある種の秘密」が絡むことが多いので、
その返事が届かないことは、そんなに不思議なことじゃない。

なお、機長はそんな彼女宛のメールの最後にこう書いている。

「もしもあなたが私にそれを教えることが出来ないのであれば
その理由だけでも教えて貰えませんか?
それすらも無理だというのであれば
『残念ながら何もお教えできない』という一行だけでも
送って貰えませんか?」


まあ、機長としては気長に待ちたいと思う。

返事が来ないと今回の記事の終わりが締まらない。

そこで、機長なりに予想した「palmairline」の意味を
最後にいくつか書いてみる。


【palmairlineの意味についての予想】

1
実在する航空会社名

実在する航空会社のドメインを取得した。

2
これから発足する航空会社名

カンサス州の女性が、その会社のオーナーなのか、
それとも悪意の第三者なのか?まではわからないが・・・
(または、今後改名する航空会社の名前かもしれない)

3
Palm関連のサイト名

カンサス州に住むその女性はPalmのユーザで、
しかもPalmをテーマとした面白系サイトを作ろうと思い、
そのサイト名を「Palm Air Line」にしたいと思っている。
しかも、その女性はハンドル名を「女機長」に
しようと思っている。

4
機長を恐喝するための道具

日本のサイト「パーム航空」の主催者に
このドメインを
高いお金で売りつけようと考えている。
しかも、日本語が読めないために、
「パーム航空」はお金をたんまり持った航空会社だと
思い込んでいる。
(こういうケースはまずありえないと思うが・・・)

5
機長を誘惑するための道具

日本のサイト「パーム航空」の主催者の魅力に
メロメロになったカンサス州の女性(ブロンド希望)が、
機長を誘惑するためにドメインを取得した。

6
間違えた

何か別のドメインを取得しようとして
ミスタイプしたために間違えて取得してしまった。
(普通、気づくよな・・・)

7
亡き夫の夢

メリカ北部カンサス州の田舎町に
今年78歳になる上品そうな女性が住んでいる。
かつて地元の名士の家の次女として生まれたその女性は23歳の時、
町内でも変わり者と噂の男性(当時35歳)と駆け落ち同然に同棲、
やがて隣町の教会で二人きりの式を挙げた。(1946年秋)
男の名前はジョン。
ほんの数年前まで
アメリカ空軍のエースパイロットとして活躍していたが、
日本帝国海軍の零式戦闘機との戦闘で墜落、
日本帝国軍の捕虜となった。
その時の精神的な後遺症のためか、
帰国してカンサスの田舎町に還ってきた彼は
かつての武骨だが陽気な男とはすっかり様変わりしていた。
寡黙で、一日中酒を飲んでばかりの毎日。
その結果、
生活のための収入のほとんどを
妻・キャシーの裁縫の仕事に頼っていた。
それでも愚痴ひとつ言わずに夫ジョンのために働くキャシーのことを
町の人たちは尊敬していたが、
グウタラ亭主に過ぎないジョンのことは
尊敬されるどころか、
どちらかというと「町の変人」として扱われることが多かった。

んなジョンに転機が訪れたのは
1950年代の暮れのことだった。
キャシーのハイスクール時代の友人だった
バート町会議員の発案により、
この町の農業委員会は、
一機の旧式複葉機を購入して、
地域のトウモロコシ畑に農薬を大量散布する計画を立てた。
遅れていた地域の農業振興の計画として、
このプランは町議会でも多くの支持を得た。
そのための予算もすぐさま計上された。
この農薬散布たのめの飛行機に乗る操縦士として選ばれたのが
ジョンだった。
彼は最初、かつてキャシーと恋仲にあったこともある
バート町会議員の横恋慕による
何かの作戦ではないかと疑って、
この申し出を断ったが、
やがて町の小さな空港に到着した、
その複葉機の姿を目の当たりにした瞬間、
封印していたパイロットとしての情熱を思い出して、
再び操縦桿を握る決意をした。
彼は根っからの飛行機乗りだった。
太平洋戦争中、ガダルカナル沖でゼロ戦に撃墜されて以来、
約6年ぶりに握った操縦桿の感触に
ジョンの胸は再び高鳴った。
久しぶりにジョンの瞳に眩しいばかりの
輝きが戻った。

来、ジョンは季節になるとこの町の上空を飛び回り、
農薬の散布作業に従事した。
機嫌のいい時にはブルーインパルス並みの曲芸飛行を
披露して街中の人々の喝采を浴びることもあった。
相変わらずオフシーズンには町外れの飲み屋で
昼間ッから酒をかっ食らう生活だったが、
町の人々のジョンを見る目も
その頃にはずいぶん変わっていた。
キャシーもそんなジョンの姿を嬉しそうに見つめていた。
彼がこのちっぽけな田舎町の空の英雄として活躍した期間は、
およそ20年間にも渡る。
季節が来るたびに彼はこの町を大空から見下ろした。

ころが、1977年春に起こったひとつの事故が
彼の運命を再び変えることになる。
「ジョンが操縦する旧式の複葉機を
そろそろ新型の飛行機に変えるべきでは?」という意見は
数年前にこの町の町長となっていたバート町長によって提案されてはいたが、
新たに台頭してきた民主党候補に破れたバートは、
この頃にはすでに、元のガソリンスタンド店主に戻っていた。
その年の夏、後に民主党系新町長の陰謀とも言われた
収賄事件の容疑者としてバート元町長に逮捕状が出た。
数日後、名誉を重んじる男・バートは猟銃自殺でこの世を去った。
その日のキャシーの寂しそうな顔を
珍しく一滴も酒を飲んでいなかったジョンは
静かにじっと見つめていた。
そんな頃事件は起こった。
それはこの町始まって以来の大事故。
つまり、
ジョンの操縦する旧型複葉機が
墜落事故を起こしたのだ。
墜落現場は町の目抜き通りとも言える
ベルスター通りの中ほどにある教会の付属施設だった。
貧しい子供たちを集めた小さなその施設に
突然、ジョンの操縦していた農薬散布機が墜落した。
警察に残る当時の記録には午後2時43分とあるから
真っ昼間だった。
この事故により、
この施設内で暮らしていた二人の可愛そうな少女が死に、
幼児を含む34人の重軽傷者を出した。
でも、ジョンは生き残った。
その後、地元警察とFBIによる綿密な調査の結果、
この墜落事故はジョンの過失ではなく、
機体のものの老朽化が、直接の原因だったと判明した。
つまり、ジョンに罪はなかったのだ。

が、ジョンはこの不幸な事故の日以来、
すっかり人前に姿を現すことがなくなった。
もちろん、事故後半年間の彼が
病院のベッドから起き上がれない状態にあった、
というのも事実だが、
退院してからも、
彼の姿を街中で見かけた人間はほとんどいなかった。
以来、彼は町外れの木造のログハウスで、
妻キャシーとともに
その後の余生のすべてを送ることになる。
当時の町の噂では
事故のためにジョンは顔に酷い火傷をおった、
などとも言われたが、現実はそうではなかった。
確かに彼はひどい傷をおったが、
それは外傷ではなく、心の傷だった。

うして、家から一歩も外に出ることがなくなった彼が
いったい何をしていたのかは誰も知らない。
実際、その妻、キャシーですら、
一日三度の食事と日課だった庭の手入れ、
そしてロイヤルズの試合を居間のテレビで観戦する時以外、
彼の姿を見ることは少なかった。
寝室さえも彼はキャシーとともにすることがなかった。
そして彼は、一日の殆どを書斎で過ごしていた。
この書斎に入ることは
妻キャシーにさえ許さなかった。
ここは彼の心の傷を守る最後の砦だった。

して彼がこの砦の中で孤独な死を遂げたのは
今から5年前、1994年の7月12日の午前4時頃だったという。
発見されたのは翌朝午前7時過ぎだった。
朝食のために徹夜で起きていた夫を起こすべく、
妻キャシーは書斎の扉を叩いた。
返事はなかった。
数十秒後、キャシーが静かに開けた扉の向こうに
ジョンの遺体が横たわっていた。
死因は脳梗塞だった。
数時間後、
ジョンにとっては数少ない友人の一人だった
この町一番の老名医、
ケイン・ブラッドフォード医師が
彼の死亡診断書を書き、
2日後、わずか1ダースほどの列席者に
見守られながらジョンの遺体は教会墓地の
片隅に葬られた。
列席者11人のうち6人が泣いたが、
キャシーは泣かなかった。
彼女が泣いたのはその夜のことだった。
ブラッドフォード医師が重い右足を引きずりながら
町外れのログハウスをその妻ジェーンとともに
後にした午後8時過ぎ、
キャシーはベッドの上で思いきり泣いた。
まるで少女のように彼女は嗚咽を続けた。
そして、泣きながら彼女は、
ようやく深夜になって
ベッドの上で深い眠りに落ちた。

朝、キャシーはいつものように
朝食の準備をしていた。
そして、気がつくと朝食に夫を呼ぶべく
書斎の前に立っている自分に気づいた。
その扉に手をかけてから彼女は初めて、
夫がもうすでにこの世にはいないことを思い出した。
そうだ。夫はすでにいないのだ。
彼女は再び夫の死に顔を思い出したが、
涙は出なかった。
この日以来、キャシーは
まるで何事もなかったように
毎日を暮らしているように見えた。
少なくとも、近所から彼女を見ているぶんには
そう思われた。
だが、実際に彼女が毎日味わっていたのは
穏やかだが孤独な、老後の一人暮らしそのものだった。
とくに趣味もなく
これまでの人生を夫ジョンのために生きてきた彼女は、
そんな孤独をもてあましながらも
夫が買ってくれたこの家を守ることに
日々精を出していた。
そんなキャシーの孤独の日々は
ジョンの死後から4年間、
静かに、そして
つつましやかに過ぎていった。

して夏が来た。
1998年夏。
雨の少ない、とても暑い夏だった。
キャシーの生活に新しい変化の風が吹いてきた。
77歳。彼女の足腰にもかなりガタが来始めていた。
そんな彼女の毎日の生活を心配した
ブラッドフォード夫妻が
自分たちの孫娘・アンナを
この町外れのキャシーの家に、
身の回りの世話をさせるべく送り込んだのだ。
いくら友人の未亡人とは言え、
孫娘をそこに住まわせるというのには、
何か理由があったはずだったが、
キャシーはそのことについて聞いてみようとは思わなかった。
喋りたければこの17歳の娘が自分で話すはずだ。
だが、アンナは何も言わなかった。
だからキャシーもそのことについて触れることはなかった。
全部で4室ある部屋の掃除と
町のショッピングセンターへの買い出しが
アンナの仕事だった。
彼女はキャシーのためなのか、
それ以外の理由によるものかは不明だったが、
キャシーのために献身的に働いた。
時にはキャシーに替わって夕食の準備をすることもあったが、
その料理の腕はお世辞にも美味いとは言えなかった。
翌日から再びキャシーが厨房に立った。
アンナは口数の少ない、
どちらかというと陰気な少女だったが、
それが良かったのか、
なぜか、寡黙で有名な老婆とは馬が合っていたようだ。
ほとんど会話のない二人だが、
見た目以上に許し合っているように見えた。
アンナは何か聞いて欲しかったのかもしれない。
だが、キャシーはそのことに一度も触れなかった。

の二人が
あまりにも静かすぎる同居生活を始めてから
数ヶ月がたった1998年秋。
その頃になると、二人ともに穏やかな表情で
午後のミルクティを飲んでいる姿が
テラスの辺りで何度か目撃されたりもしている。
そんなある日のこと、
キャシーが初めて、アンナに対して
大声を張り上げたことがある。
それは、
亡き夫が最後まで孤独に閉じこもっていた
書斎の中に彼女の姿を見つけた時だった。
「この部屋には決して入らないように」
というキャシーからの唯一のリクエストを
アンナが破ったその瞬間、
キャシーは激しい言葉でアンナを罵った。
彼女自身でさえ、
夫の死後もその言いつけを守り通して
一歩も足を踏み入れたことのない、
その亡き夫の聖域に第三者であるアンナが
足を踏み入れたことはキャシーにはとても許せなかったのだ。
初めて見た、そんなキャシーの強ばった表情に
アンナはただただ震えているしかなかった。
だが、その数秒後、
キャシーは
アンナが発作的にその手に握りしめたと思われる
一冊の分厚い大学ノートの存在に気づいて
言葉を失った。
キャシーがこれまで一度も見たことがなかった
その大学ノートの表紙には
「My Dream」という言葉が書かれていた。
「John」という亡き夫の名前とともに
青く滲んだ万年筆の文字で。
この開かずの部屋になぜか迷いこんだ
この17歳の娘が偶然、
この部屋のどこかで見つけてしまったらしい。

来、午後の窓辺で、
この古びた大学ノートをめくっているキャシーの姿が
地元住民によってしばしば目撃されている。
その頃アンナは、自分の部屋に
大きな段ボール製の箱を運び込んでいた。
そしてキャシーに尋ねた。
「電話回線を二股に分けてもいい?」
キャシーは最初、
彼女の言葉の意味を理解することが出来なかった。
が、やがてアンナの解説によって
彼女が挑戦しようとしているのは
「Internet」というもので、
彼女が自分の部屋に運び込んだ段ボール箱の中身は
「iMac」という家庭用コンピュータだということを
知らされた。
知らされた、とは言っても
キャシーには「Internet」がどんなもので、
「iMac」というものが、
どんな役割を果たすものなのかはさっぱりわからない。
その形状は、テレビ受像機に似ていたが、
どうやらロイヤルズの試合も世界の料理ショーも
その画面には写らないようだ。
アンナに言わせると、そうすることも可能だが
「今はそんなものよりInternetよ」ということらしい。
iMacという名の水色のコンピュータを
小部屋に運び込んで以来、
アンナはしょっちゅう自分の部屋に閉じこもるようになった。
まるで亡き夫の晩年のように。
キャシーはそんなアンナのことが少しだけ羨ましかった。

して、アンナは
自宅に帰ることもめったになくなった。
それまでは2週間に一度くらいは
自宅に戻ることもあったが、
この頃になると、
まるでこの家が自分の家でもあるかのように
この家に住んで、
買ったばかりの家庭用コンピュータの前に
座り込むことが多くなった。
もちろん、この家に住む条件である
掃除や買い物を欠かすことはなかった。
また、キャシーとの食事や恒例のティータイムも
ちゃんと続けてはいた。
あまりに自宅に帰らない娘を心配して、
ブラッドフォード夫人とその娘が心配して
訪ねてきたこともあった。
「ボーイフレンドでも出来たのかと思ったわ」
・・・と、アンナの母親は
部屋の中でコンピュータに向っている娘の姿を見て、
吐き捨てるように言った。

がて西暦が1999年を迎えた。
その頃になると、
アンナとキャシーは、
その半世紀ほどの年齢差を超えて友達のように
親しくなっていた。
食事やティータイムで二人が揃うと、
楽しそうに天気のことを語ったり、
テレビ番組のことで笑いあったりするこも
この家の新しい日常風景になっていた。
でも、二人にはお互いに決して干渉はしない
それぞれの世界もあった。
キャシーは相変わらず、夫の残した大学ノートを読みふけり、
アンナはアンナで、
iMacのモニタ越しに見える遠い世界の風景を
食い入るように見つめていた。

1999年の春が来た。
カンサスの山々の雪もきれいに溶け去って、
その雪解け水が町の中央を流れる川を
勢い良く流れる頃になると、
二人の間にまたまた新しい変化が訪れた。
二人はそれまで、
それぞれに楽しんでいた世界について、
お互いに情報を共有するようになったのだ。
まずキャシーが、
亡き夫の残した大学ノートの中身について
アンナに語るようになった。
すでに老人ということもあって、
同じ台詞を繰り返すこともあったが、
少女のような微笑みとともに
そのノートの中身について語るキャシーを見ているのが、
アンナは大好きだった。
一方、アンナもまた「Internet」という
未知の世界に飛び込んでから自分が感じた興奮を
キャシーにも好んで語るようになっていた。

れは少し遅めのティータイムを終えた
ある昼下がりのことだった。
この日のアンナはキャシーに熱く語っていた。
「iMacという箱の向こうに
「Internetという世界が広がっているの!」
いつにも増して熱く語るアンナの様子に
少し驚きながらもキャシーは彼女の言葉を聞いていた。
最初は可愛い音楽のように。
が、やがて、その音楽は激しく転調していいった。
「その世界ではすべてが自由で、
すべてが許されているわ!」
「そんな自由な世界!
それがInternetなの!」
そしてアンナの語調がその瞬間、
ある一線を越えた。
「そう、この自由な世界の中では、
レイプされた女の子が
学校中の生徒たちから冷たい視線で
見られることもないのよ!」
・・・この家に来てから初めてアンナは
その感情を露骨に出した。
その頬には涙が、
止まらない波だが溢れていた。
キャシーは黙ってアンナの肩を優しく抱いた。
「お願い、キャシー!なんとか言って」
アンナは悲痛な叫び声をあげたが、
キャシーは無言のままアンナの肩を抱きしめた。
女神のような優しい表情で。
アンナを抱きしめたキャシーの影が
ゆっくりと、そのリビングの床を伸びていった。

ンサスの山々の稜線に
静かに太陽が沈み始めていた。
ずっとこの部屋に微かに響いていたアンナの嗚咽も
すでに収まっていた。
初めて農薬散布による給料を貰った日に、
ジョンが嬉しそうにその包みを抱えて帰ってきた
大きな古時計が秒針を刻む音だけが
この部屋に優しく流れていた。
ずっと黙ったまま女神のような微笑みを
続けていたキャシーが数時間ぶりに、
正確な時間まではわからないが、
本当に久しぶりに口を開いた。
その声はアンナの予想に反して
なんだか明るい声だった。
その頃にはアンナも
これまでこだわり続けてきた何かが
心の中で弾けたようで、
キャシー同様、優しい笑顔を取り戻しつつあった。
キャシーはこの時、アンナの肩を抱きしめたまま、
こう言った。
「そのInternetという世界では、本当にすべてが自由なの?」
今度はアンナが口を開く番だ。
アンナはキャシーの顔をしっかりと
見据えてから泣きはらした顔に
とびっきりの笑顔を作って答えた。
「そう!この箱の中ではすべてが自由なの!」

れからすぐに二人は
アンナの部屋にいた。
ラスベリーカラーのiMacの前に座ったアンナの横に、
キャシーも腰掛けた。
まるで、ピアノに向って連弾の稽古をする幼い姉妹のように
二人の背中が並んだ。
キャシーは、これまでまったく興味が無かった
キャンディ色の小箱の中を覗き込んだ。
「最初にまず、このマウスを使ってこのボタンを押すの」
それから数時間、
アンナはキャシーに、
覚えたばかりの「Internet」の世界について教えた。
「Home Pageは誰にでも作れて、誰もが覗けるの!」
「性別や年齢、体力差も関係なく、誰でも簡単に、
自分の情報を世界中に発信することが出来るのよ」
「Home Pageを使えば、
たとえば、私にだってCompanyが作れるのよ。
Internetの世界の中だけ、なんだけどね」
次々とアンナが語っていた言葉の洪水を
キャシーはアンナと同じくらいの興奮とともに
聞いていた。
そして一通りの熱烈な解説を聞き終えてから、
キャシーがアンナに訊いた。
「私にも出来るかしら?」
アンナは嬉しかった。
「もちろん!
ほんの少し勉強すればキャシーにもInternetは簡単よ」
今度はアンナがキャシーの肩を
優しく抱いた。
でも、キャシーはそれに対して
不思議な言葉を返してきた。
「ううん、私にも出来る?って訊いたのは、
Internetのことじゃなくいの。Companyのことなの」
「Company(会社)?」
アンナはキャシーの口から発せられた
とても不似合いな言葉に驚いた。
「Companyって、もしかして?」
アンナはもう一度口を開いた。
このとき、キャシーの笑顔が一層輝いたように見えた。
「そう、これよ!」
そう叫びながらキャシーは、
亡き夫が残した古びた大学ノートを
思いっきりアンナに向けて広げた。

こには亡き夫ジョンが、
孤独な砦にこもったまま
数十年に渡って空想の中で作り上げた
「とある会社」のすべてが詰まっていた。
会社のトレードマークのデザイン。
資本金。概要。財産目録。所有施設。就業人員・・・。
そして、この会社が保有するすべての飛行機について。
そう、この空想の会社は、
カンサス州の田舎町を結ぶローカル航空会社だった。
会社の名前は「Palm Air Line」。
その航空会社の名前に亡き夫は
第二時大戦中に墜落した
ガダルカナルでの思い出を重ねていた。
太平洋をサメの恐怖から逃げるように泳ぎきって辿り着いた
南海の無人島。
やがて日本軍の兵士が上陸してくるまでの数時間、
彼がまるで母親に包まれるように、
大きな椰子の木の下で眠った話は、
キャシーもジョンから何度も訊かされたことがある。
その椰子の木のことが忘れられない。
もしもチャンスがあったら
あの椰子の木でもう一度眠りたい。
元気だった頃の夫はそんな話しを何度も聞かせてくれた。
キャシーもその話が大好きだった。
そんな太平洋の孤島で見かけた椰子の木を
イメージした会社のトレードマークの下には
ローマン書体を手書きした文字で
「Palm Air Line」と書かれていた。
そんな思い出の木、Palmを名前につけた航空会社は
亡き夫の夢だった。
北アメリカにあるカンサスの航空会社の名前に
「椰子(Palm)」がついているというのも妙な話だが、
その不釣り合いな会社名は
まさに夫・ジョンにとっての「見果てぬ夢」だった。
夫が果たせぬまま終わった幻の会社「Palm Air Line」。
そのイメージは、この大学ノートを
何度も何度も繰り返し読みながら
キャシーの中で育っていた。
まるであの南海の孤島の椰子の木のように。

の忌まわしい、教会での墜落事故さえなければ
夫ともに語り合えたかもしれない夢の航空会社は
彼女にとってはもはや紙切れの上の文字だけに
留めておくには惜しいほどに成長していた。
だから彼女はアンナに質問した。
「私がPalm Air Lineという名前の会社を
Internetの中に作るためにはどうすればいいの?」
少女のように質問するキャシーの表情を見つめながら、
アンナも嬉しかった。
彼女のために何かしてあげたい!
そして、アンナは発作的に叫んでいた。
「ドメイン!・・・今すぐドメインを取りましょう!
もちろんドメインの名前は、Palm Air Lineよ!」
こうしてカンサス州に住む老夫人キャシーは
友人の孫娘アンナの協力で、
アメリカで一番のドメイン登録サイト「register.com」の
ホームページを開いた。
そして、夫のためにもどうしても取りたかった
「palmairline.com」というドメイン名を
その検索フォームを使って探した。
幸運なことにそのドメインはちょうど空いていた。
二人はすぐさまドメイン取得の申請をした。
こうした作業もすべてオンラインで出来る。
クレジットカードさえ持っていれば、
わずか数行の個人情報を書き込むことで
ドメインの登録申請が出来た。
「簡単なのね」
キャシーが微笑んだ。

れから1ヶ月後の1999年11月、
キャシーの家のポストに「register.com」からの
封筒が届いた。
そしてその中には、
同ドメインの契約書が入っていた。
二人は姉妹のように喜び、そして抱きあった。

日、買物帰りのアンナが
キャシーにプレゼントを贈った。
「Adobe PageMill」という名前の
ホームページ製作ソフトだ。
「これを使ってキャシーが、ジョンの夢を作るの!」
さすがに初めて見たソフトウェアのパッケージに
まだまだコンピュータにはビギナーのキャシーも
少しビビった。
「私みたいなお婆ちゃんに・・・出来るかしら?」
・・・そう呟いたキャシーに
初めてこの家に来た時の陰気な表情が嘘のような笑顔で
アンナは答えた。
「キャシー、あなたならきっと出来るわ!」

うして、「palmairline.com」は今、
カンサス州に住む女性・キャシー(仮名)のもとにある。









・・・なわけ、ないってば!!


さて、以上7つの選択肢のうち、
正解はどれでしょう?

それは今のところ、
機長にもわからない。





じゃ。


1999年12月24日

Merry X'mas on your Palm!




2000.1.5 Updated



Palmairは地球に優しい?





その後、鎌倉空港の加藤管制官から、
「Palm,air」について、
驚くべき報告を貰った。


さて、palmair及びpalmairline関連の
ドメイン名称の話ですが
palmairについて、情報を一つ。

私は車が好きで、
車関連の情報収集もPalm関連の次くらいにしています。

数年前の事ですが、
アメリカで大気汚染を減らす画期的な工夫が
発明され、実験中とのニュースを読みました。

それは、車のラジエター表面に特殊なコーティングをし、
これを触媒として用いることで
大気中のオゾンを分解する、というもの。

ラジエターってとっても熱くなりますよね。
この熱を利用するわけです。

車は大気を汚染しながら走る乗り物ですが、
この技術が確立されれば、
少しでも大気をきれいにすることができる、
ととても期待していました。

私は今、VolvoのV70という車に乗っているのですが、
最近、ボルボを紹介した本で
「ボルボが来年度のモデルの一部に
オゾンを分解する特殊な表面処理を
したラジエターを搭載する」
という記事を見つけました。

その技術の名前が『パームエアー』というのだそうです。
数年前に読んだ実験が現実のものになったと知った喜びと、
その技術が『パームエアー』と名付けられたことの驚き!

ただし、『パームエアー』のスペルは明らかでないので、もしか
すると違うかも知れません。
もちろん、違わないことを信じていますが。



う〜ん、Palmairはどうやら地球に優しいらしい。

英文を読むのが面倒くさいので
ちゃんと読んだわけじゃないが、
もしかしてこれのこと?

そう、「http://www.palmair.com」

ところで、
カンサス州のキャシーさんからは
今もって返事は返ってこない。

そしてサイトも依然このまま。
まだアンナからHTMLを教わっている最中
なんだろうか?



じゃ。


2000年1月5日

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