Pilot Air Line
PAL019便
特別企画
「Pilotの歴史」
(その2)


Pilot史上たぶん初の
Pilotの歴史
〜読む年表〜

資料が少なすぎて、
そして、たまに資料が揃っても
全文英語だったりするもんで
解読に手間取ったりして、
発表がノビノビになってしまった。

でもようやく登場です。
「Pilotの歴史その2」
本当はこの「その2」で完結するつもりだったが、
この調子だと「その3」まで行っちゃいそうだ。


【これまでのあらすじ】

キティーホーク岬でライト兄弟が人類初のPilotになった91年後、
アメリカ、ロス・アルトスの小さなソフトウェア会社の
社長が一大決意をして、ワイシャツのポケットに入る
小型コンピュータの開発に乗り出した。
周囲からいろいろ馬鹿にされたりしつつも
なんとか数ヶ月後には
発表出来そうなところまでたどり着いた95年8月、
このちっぽけなソフトウェア会社に
とんでもない事件が起こった。



もっと詳しいストーリーはココを読もう。
てゆーか、読んでからの方がよくわかると思う。



古代
Pilot誕生前夜
(1994〜1996.2)
〜続き〜


1995


8


 ■
Palm Computing社は、U.S. Robotics社に会社ごと譲渡した。

 ・そのきっかけとなったのはお金だった。
  完成した製品を告知するためのキャンペーン費用が同社には
  もはや残ってはいなかったのだ。Hawkins社長もさすがに
  不安だった。

 ・社長の懐刀で、財務の責任者であったDonna Dubinskyさんは、
  社長が孤独な開発を続けている間、資金的に協賛してくれる
  パートナーを探し回ったものの、さっぱりいい返事が返って
  こない。そりゃそうだ。さっきも書いたように同業者の多くは
  Hawkins社長の挑戦を馬鹿にしていた。当然、誰もお金なんか
  出したがらなかった。

 ・Dubinskyさんは考えていた。500万ドル集めることが出来れば
  何とかなるんだが・・・。ところが一社だけ、大手モデム
  メーカーのU.S. Robotics社だけはまったく違う返事を返して
  きた。「500万ドルなんてみみっちい金額じゃなく、4500万ドル
  出そう。その代わり、おたくの会社ごと売ってくれ!」

 ・この提案には、さすがのHawkins社長も悩んだ。創業3年とは
  言え、自分が手塩にかけた会社である。
  しかも、自分にとっては夢のマシンである
  この新型PDAマシンの発売元が、自分の会社の名前
  Palm Comuptingではなく、つい昨日まで他人事だった
  モデム会社の名前になってしまう。それは理屈じゃなく
  楽しいことじゃなかった。だが、結局社長は決断した。
  これから生まれてくる子供(PILOT)の未来のために最良の
  選択をしよう、と。

 ・以降、Palm Comuptingは独立した会社ではなく、
  U.S. Robotics社の一子会社となった。

 ・あとは新年1月のマスコミ発表に向けて、開発の最後の
  追い込みをかけるだけになった。


1996


1


 ■U.S. Robotics社は初代Palm PilotであるPILOTを発表。

 
・社長の決断は2つの意味で正しかった。彼が目指した新しい
  PDAマシンであるPILOTの仕様は発表と同時に世間の注目を
  集め、新しい里親であるU.S. Robotics社という大手資本に
  支えられて、キャンペーンも順調に進んだ。そして3ヶ月後、
  大量生産を始めたPILOTが工場から小売店に運ばれると同時に、
  発売が始まる。



中世
Pilotの黎明期
(1996.3〜1997.2)


1996


3


 ■US Robotics社からPilot 1000(内蔵メモリ128KB)と
  Pilot 5000(内蔵メモリ512KB)を発売。
  同時に、PalmOS 1.0もリリース。

 ・そしてついに、夢のマシンが市場に飛びだして、Pilotの歴史は
  本格的にスタートした。だが、この新製品、前評判は確かに
  高かったが、そのあまりに斬新なコンセプトが邪魔したのか、
  発売直後2〜3ヶ月の売り上げは平凡だった。

 ・どんな新製品でも、最初に購入するのは35〜45歳の高収入男性
  である。PILOTの場合も例外ではなかった。彼らはいつも、
  しばしの試用期間の後、あるひとつの答えを出す。
  「確かに新しいけど、大したことねえじゃねえかよ」と
  呟いたが最後、ある種、新製品のオピニオンリーダーでもある
  彼らは周囲にこんな噂を流す。つまり「最悪だから、絶対
  買うなよ」。もしくは自分が買ってしまったことを永遠の
  秘密にして粗大ゴミの袋の中にその新製品をこっそりと
  しのばせる。ただしもし、彼らがその新製品を気に入った
  場合、明らかにそれとわかる別の行動を彼らはとる。
  つまり、その新製品を友達に見せびらかして自慢する。
  いかにも自分は最先端の人間だよって顔をしながら、
  その新製品を持って繁華街を闊歩する。あげくの果てには
  強引なまでに友人に薦めて、場合によっては秋葉原
  (のようなところ)まで買い物に付き合ってその友人に
  無理やり買わせてしまう。(現代の日本では1万円以下の
  廉価商品の場合、この役割を女子高生が果たしているが、
  高級電化製品の場合、この種の人々がマーケットの
  リーダーシップを握るのはアメリカと同じだ)
  さて、このPILOTの場合、答えはどちらに転ぶのか?

 


5


 ■この頃、Adam Deaves氏がウェブサイト
  
Adam's PalmPilot Software Archive を開設。

 
・その後、このサイトはPilot黎明期の人気ソフトウェア
  アーカイブとして発展したが、97年8月に閉鎖。
  これを継承したのがStingerやPilotGearH.Qだったが、
  結局、メジャーサイトとしては後者が現役で活躍中。

 ・IKESHOPのマックプラザ店には、このAdamさんの結婚式の
  写真が貼ってあったのを覚えているが、機長が初めてこの
  サイトを訪ねた時は閉鎖直後だったため、結局このサイトの
  お世話になることなく終わってしまった。ちょっと残念。
 


6


 ■PILOTが爆発的に売れ始める

 ・PILOTの場合、答えは後者であった。発売して4ヶ月も経つと
  爆発的な需要が生まれた。しかも熱狂的な大応援団を従えて
  いるという意味では、初期のAppleコンピュータや阪神
  タイガース、もしくはJリーグの浦和レッドダイヤモンズにも
  似た異常現象となった。

 ・そしてこの年の暮れまでに、35万台のPILOTが売れに売れた。


 ■
Scott Ludwig氏がInvaders v1.0をリリース。

 ・(25日)機長が発見した最古のPilotwareの記録。
  いわゆるインベーダーものです。
  ところで外国の辞書に「名古屋撃ち」は乗ってる
  のだろうか?それとも「フィンランド撃ち」とか別名に
  なっているのか?


 ■Darrin Massena氏がPilot Hackをリリース。

 
・機長はよく知らないが、要するに、Pilotのメモリを調べる
  Hackだっただらしい。


 ■
Scott Ludwig氏がGraffiti Helpをリリース。

 
・わずか7KBのちっぽけなソフトだったが、Graffitiのヘルプが
  標準になる前を考えると、とっても便利なソフトだったんだろう
  な、と思われる。なお、同じ時期にScott Ludwig氏も同様の
  ソフトをリリースしているらしい。


 
SLUBOH氏が日本最初のPilot関連サイト
  
「PILOT MAIN PAGE」を解説。

 
・機長も、97年夏に初めてInternet上で日本語のPilotサイトを
  捜した時に、ここを見つけた記憶がある。あの頃はまだ今ほど
  サイトがなかったからだが、実はここが日本初の
  Pilot関連サイト(This is the FIRST-PILOT-WEB PAGE
  in Japanese)で、96年6月に立ち上がっていたなんてことは、
  今回のリサーチまで気づかなかった。写真も豊富だし、
  SLUBOH氏がこのサイトに歴史的記念物的な意味を持たせて、
  当時の資料や雰囲気を保存してくれているので、
  「日本Pilot史の明治村」的な気分を味わうことが出来る。

 


8


 
山田達司氏が、とあるMLの中でPilotの存在を知る。

 
・そしてとうとう、あの男が登場する。

 ・アメリカでPILOTが一大ブームが起き始めたちょうどその頃、
  8月20日。アジアの片隅で一人の男性が、
たまたま参加していた
  コンピュータ関連のメーリングリストの中で偶然Pilotの存在を
  知った。彼の名前は山田達司。のちに日本Pilot界の神様と
  呼ばれた男である。彼はそのMLの中のわずかな情報から
  いくつかのことを知った。PILOTは「シンプルで素敵なPDA」で
  しかも「開発環境も整っている」が、「まだ日本には
  ほとんどない」くらいだから「日本語環境なんてあるわけ
  ない」らしい。この瞬間に神様の頭の中に、どこからか声が
  聞こえてきた。それはまるで映画「フィールド・オブ・
  ドリームス」で主人公の耳元で目に見えない誰かが
  「そこに野球場を作りなさい」と囁いたように、
  彼の頭の中で「この素敵なPDAに日本語環境を作りなさい」
  という言葉が聞こえたかどうかは、いつか本人に尋ねて
  みたいと思うが、とにかく彼は決心した。
  ちょうどHawkins社長が突然PILOTを作り始めたように、
  彼はPILOTの日本語環境を作ることに使命を見いだした。
  天地創造の始まりである。だが、そこまで意気込んだ
  彼のもとにはPILOTはまだなかった。もちろん、国内でそれを
  売っている店も存在しない。そこで、

 
山田達司氏が「CodeWarrior for Pilot Bundle」
  オンライン注文する。

 
・(29日)このPilot開発キットである「CodeWarrior for
  Pilot Bundle」には、Pilot本体であるPILOT5000とMac用の
  ケーブルも付属していた。これだけ揃えば何とかなる!と
  思えたのは、神様がこれ以前にNewtonやHP200LX用の
  オリジナルソフトを作ったという基本ベースがあったからだ。


 
山田達司氏が「恵梨沙フォント」の調査を始める。

 
・普通なら、製品を手に入れてから、しかもそれでしばらく
  遊んでから、そのうち計画に取りかかろう!と思うものだが、
  神様は違った。まだ見もしないPDAマシンの日本語環境に
  必要な日本語フォント捜しをさっそく始めたのである。
  この時、神様のお眼鏡にかかったのが「恵梨沙フォント」
  だった。神様はそれを解析し、その許可関係を確認すべく
  作者(グループ)に連絡をとっていた。ここで機長は思う。
  神様はとてつもなくせっかちな人か、もしくはものすごい
  予知能力を持っていたか、そのどちらかだと思う。
  とにかく、オンライン注文した「CodeWarrior for Pilot
  Bundle」が船に乗り、ドンブラコドンブラコと太平洋を
  渡っている頃、神様はすでに動いていた。


 ・「CodeWarrior for Pilot」という簡便な開発環境は、
  神様だけでなく、本国アメリカの人々にも「手軽にソフトを
  開発できる自由」を与えた。こうして、上記のソフトなど、
  生まれたばかりのPDAマシンのために、フリーウェアや
  シェアウェアが次々と作られていった。その意味で、
  「シンプルさ」にこだわったHawkins社長の着眼点は
  間違っていなかった。もしもPilotの構造が複雑だったら、
  と思うとぞっとする。
 


9


 
山田達司氏が注文していたPilot5000を手にする。

 ・(6日)そんなことを言ってるうちに、神様の手元にDHL
  (かどうか確認したことはないが)を通して、「Pilot5000」が
  到着した。もちろん「CodeWarrior for Pilot」やマック用の
  ケーブルも一緒に。のちに機長の場合、Pilotを買ってから
  1ヶ月間はGraffitiの習熟だけで過ぎてしまったが、神様は手に
  したその日からPilotの日本語環境の開発に本格的に
  取りかかった。まずは「CodeWarrior for Pilot」の分厚い
  解説書の読破から始まったそうだが、機長の場合、
  Palm Pilot付属の薄っぺらな解説書すら読む気がしなかった。
  だって英語なんだもん。


 
山田達司氏が、J-Viewer 1.0をリリース。

 
・かつて神は七日間で天地を作ったという。われらが神様は
  それに遅れること3日、しかしなんと!Pilotを手にしてから
  わずか10日目の9月16日、MemoPad用の漢字ビューワJ-Viewerの
  最初のバージョンをリリースした。す、す、すごい!
  そして、MLリスト内で試用テストを依頼して、その2日後の
  9月18日にはJ-Viewer 1.0をリリースした。

 ・こうして神様の天地創造、伝説の秋が始まった。
  この頃(?)の神様の御真影が
ココで見られます。

 ■
Scott Ludwig氏がPocketChess v1.0をリリース。

 
・日本ならさしずめ将棋に当たる欧米のクラシカルで
  メジャーな遊び「チェス」もとうとう誕生した。
  機長は「チェス」の知識が皆無だが、たまにこのソフトの
  レビューなんかを読むと、とってもよく考えられたソフト、
  だそうだ。ところで誰か、「将棋」って作ってれない
  のかな?機長はとてつもなく弱いので、「飛車角抜き」の
  オプションは欲しいところだが。


 ■
Greg Hewgill氏がCopilotをリリース。

 
・これはWindows用だったらしい。そうそう、この手の
  エミュレータが次々と登場してくれたことの意味も大きかった。
  (1)購入前のユーザが雰囲気を味わえる。
  (2)手軽に初物ソフトを試すことが出来る。
  機長の場合は、「I's Icons」のPilot Appsシリーズを作るのに
  お世話になった。

 ・その後
Illume Software社がMac版もリリース。
  (リリース日不明)

 


10


 
山田達司氏がJ-Suite0.2をリリース。

 
・(2日)スクロール機能などいくつかの機能を組み込んだ
  「J-Viewer 1.1」と、あらたにAddressBookでの日本語表示を
  可能にした「J-Address 1.0」をセットにした「J-Suite0.2」を
  リリースした。


 
山田達司氏がJ-Dispα版をリリース。

 
・(7日)MemoPadとAddressBookでは簡単に出来た日本語表示も、
  システム上の問題からDateBookとToDoListにおいては簡単な
  作業ではなかった。そこでOSの表示部分にパッチを当てて、
  すべてのアプリケーションで日本語表示を可能にする方法を
  思いついた神様が次にリリースした作品、それがこのJ-Disp
  だった。J-Suite0.2の公開から5日後のことである。まるで
  生き急いでるかのような神様の生き様。神様に生き様ってのも
  なんだが・・・。

 ・ところが、OSにパッチを当てると言う作業は、MacOSで
  パッチを当てたことがある人間なら誰でもわかることだが、
  OSそのものを非常に不安定にさせてしまう。
  ところが、ここから先の領域は、標準の開発キットぐらい
  ではなんともならなかった。そこまで踏み込む専門的な
  資料もない。これが限界かもしれない・・・さすがの神様も、
  そう呟いたちょうどその頃、太平洋を挟んだ海の向こう
  アメリカに一人の天才が現れた。歴史というものは、いつも
  奇妙な偶然によって支えられている。


 ■
Edward Keyes氏がHackMaster 0.9をリリース。

 
・(6日)テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学を
  卒業したEdward Keyes氏には3つの夢があった。そのひとつは
  
MIT(マサチューセッツ工科大学大学院)で博士号を取ること。
  二つ目は素敵なファンタジー小説を書き上げること。
  そして三つ目はPalm Pilotのためのプログラマになること
  だった。このわがままな夢をもった男は、この当時、
  MITの大学院に通いながら勉強をし、その合間にファンタジー
  小説を書き、さらにPalm Pilotのためのソフトウェア会社
  
Dagger Ware社を興して、そのメインプログラマ兼社長だった。

 ・彼は、日本で山田達司氏がMLでPILOTの存在を知る少し前に、
  「MacUser」誌に載った記事によってこの最新PDAの存在を
  知り、山田氏とほぼ同じ理由でそのマシンを買った。つまり
 (1)ポケットに情報を詰め込める夢のコンピュータであること
 (2)Mac上のCodeWarriorで手軽にプログラミングが出来ること。
  この2つが購入理由だった。

 ・Keyes氏の名前が初めてPilot世界に登場したのは、初の
  本格的グラフィックソフトである「DinkyPad」の作者とし
  てである。彼はPilotの開発ソフトSDKを手に入れてから
  わずか数週間でこのソフトの最初のバージョンをリリース
  している。だがもし、彼がMITのキャンパス内で「突然
  思いついたアイデアや会話の一言なんかを素早く書き
  とめるために」DinkyPadを作っただけなら、彼の名前は
  これほど残らなかっただろう。だが、8歳の時から
  コンピュータを触っていたという彼は、このお絵書き
  ソフトに続いてとんでもないソフトを作ってしまった。

 ・そのソフトはあまりにも革新的なものだった。PILOTが
  この世に誕生し、市販されるようになってからまだ
  半年ほど。この時期、人々はまだPILOTそのものの魅力と
  標準ソフトだけで喜び、PILOTに追加するソフトの制作
  だけで大喜びしていた。そんな時期に彼が作ったソフトの
  名前は「HackMaster」。この文章を読んでいる日本語Pilot
  ユーザなら自分のマシンにインストールしていない人間は
  一人もいないはずだ。日本語Pilotユーザだけではない、
  全世界のほとんどのユーザがこのソフトを自機に
  インストールしているはずである。このソフトのリリース
  直後の96年10月のインタビューで「HackMasterってどんな
  ソフトですか?」と尋ねられた彼は「HackMasterとは、
  Pilotのシステムソフトウェアに本来含まれているべき
  プログラムです」と答えている。そして彼はこう続けて
  いる。やや長いが引用する。「HackMasterはあなたの
  Pilotのために、機能拡張を管理するプログラムです。
  ちょうどそれは、MacintoshやWindowsマシンにおいて
  『コントロールパネル』インターフェースが果たして
  いるのと同じような機能を果たします。近い将来、
  HackMasterのないPilotなんて考えられなくなるだろうと、
  私は期待しています。それはまさに、機能拡張書類や
  コントロールパネルのないMacintoshやPCなんてあるわけ
  ない、と思われているのと同じにね」

 ・そして彼の予言は当たった。ハードが誕生してわずか半年の
  この時期に、このソフトを思いつき、完成させた彼の凄さを
  たとえて言えば、江戸末期、黒船の来航に驚いていた当時の
  一般庶民や政治家たちの中で、ただひとり彼らとの貿易活動、
  果てはそのための政治システムの変革にまで思考を発展
  させた幕末の異端児・坂本龍馬にも似ている。

 ・ちなみにKeyes氏は、最初のHackMaster対応ソフトとして、
  Pilot本体の円形ボタンの操作をカスタマイズする
  「AppHack」もこの時期にリリースしている。


 
山田達司氏がJ-OS 1.0を含むJ-SUite1.0のβテスト開始。

 
・MITの大学院生Keyes氏の発明が、極東の小島でPilotソフトの
  ローカライズ作業を続けながら、一つの壁にぶち当たって
  いた山田氏に、光明を与えた。その意味で、神様に啓示を
  与えたKeyes氏はPilot世界のゼウスとも言える。

 ・このKeyes氏が発明したHackMasterに出会った山田氏は、
  独力では克服困難だったOSへにパッチを当てることから
  来るリスク面の処理をこの未知なるソフトに賭けてみる
  ことにした。山田氏はさっそくKeyes氏にメールを送り、
  Keyes氏から全面協力を取り付ける。この全面強力の中には
  「山田氏が作る日本語化ソフトに使用するかぎりにおいて、
  HackMasterを無料で使ってくれていい」という夢のような
  提案が含まれていた。このおかげで現在、J-OSや
  J-OS Proのユーザは、HackMasterがシェアウェアである
  ことを気にしないで日本語OSを立ち上げることが出来る。
  とくにシェアウェア登録などという概念が希薄な初心者
  ユーザにとってこれほど便利な話はない。
  そういう意味では、日本でのPilot普及の父は山田氏だが、
  それをサポートしたKeyes氏の役割も忘れることは出来ない。
  だからこそ!この事実を知ってしまったJ-OSおよび
  J-OS Proユーザは自ら進んでHackMasterを登録しよう。
  これはちょうど、苦しい時代に経済的な協力をして
  くれた国に、経済が復興した後、国民みんなでお返しをする
  のと同じで、義務じゃないが道徳だと思う。

 ・こうして山田氏のJ-DispはHackMasterに移植され、
  不安定地獄から解き放たれた。ついでに日本語入力(まだ
  ひらがなだけ)の機能も加わった。その名称も、入力機能が
  加わったことで、さすがにJ-Disp(lay)というのはどうだろう?
  と山田氏も思ったらしく、J-OSという名称に変更された。
  J-Dispのリリースから10日後、山田氏の手元にPilotが届いて
  から40日後の10月16日、初の日本語OSであるJ-OS1.0を含む
  パッケージ「J-Suites1.0」のβテストが始まった。


 
山田達司氏がJ-OS 1.1をリリース。

 
・v1.0のひらがなに続いて、カタカナ入力をサポート。
  表示速度も大幅に改善。


 
この頃、秋葉原IKESHOPが日本で初めて
  Pilotを発売するようになる

 
・IKESHOPとは、日本Pilot史において、長崎出島か吉田松陰の
  松下村塾にも匹敵する存在だ。かつてNewtonの普及において
  同じ役割を果たした同店が、この新興のPDAの未来に
  注目した。同時に、この時期、のちにJ-OS ProやPilo Keyの
  発売でタッグを組むことになる山田氏と同店との交流も
  始まっている。日本Pilot界の夜明けは着々と近づきつつあった。
 


11


 
山田達司氏がJ-OS 1.5(仮名漢字変換をサポート)をリリース。

 
・京都大学佐藤先生らによって作られたSKK辞書をもとに、
  山田氏はついに最初の仮名漢字変換をサポートしたJ-OS 1.5を
  リリースした。SKKにも感謝!

 ・ちなみに
SKK (Simple Kana Kanji Convertor) は 佐藤雅彦教授が
  1987年に設計,開発した, Nemacs/Mule 上で動作する
  日本語入力システムです.佐藤教授は京都大学・大学院工学
  研究科 情報工学専攻 情報基礎学講座の教授さんだそうです。


 ■US Robbotics社から正式にMac版のケーブルおよび
  ソフトが発売された。

 
・現在のMacパックのこと思われる。
  
「PILOT MAIN PAGE」からの情報だが、これが本当だ
  とすると、Mac版は発売からなんと半年以上もほったらかし
  だったことになる。Palm社のMac軽視は今に始まったこと
  じゃなかったようだ。それにしても良かった。良かった。
  Mac版が発売されて。

 


12


 
山田達司氏がJ-Suites 1.7(J-OS 1.7を含む)をリリース。

 
・神様からの「日本のPilotユーザへのクリスマスプレゼント」
  としてリリースされる予定だったJ-Suite 1.7は4日後の29日に
  ようやくリリースされた。

 ・このリリースの目玉はユーザ辞書のサポート。これは確かに
  便利な機能だ。実際には、これに先立つ非公開β版のJ-OS 1.6で
  この機能は附加されていたらしいが、一般リリースはこれが
  最初になる。

 ・ある意味、神様自身もその著書の中で述べているが、
  J-OSシリーズは第一段階の完成期を迎えた。あとは、
  まもなく発売されることが告知されていた新型Pilotへの対応が
  神様に残された次なる試練だった。

1997

1


 ■Raymond Lau氏がウェブサイト
  
Ray's PalmPilot Software Archiveを開設。

 
・Adamさんのサイトに続いて人気サイトだったように記憶する。
  以降、雨後の筍のようにPilotウェアのためのアーカイブ
  サイトが登場するが、人気が出るほどに管理は大変みたいで
  長続きするサイトはなかなか見つからない。


 ■Raymond Lau氏がAportis Technologies社を創設。

 
・ほぼ同じ頃、このLau氏が自らの会社Aportis Technologies社を
  創設した。これからのPilotユーザなら忘れることの出来ない
  名前だ。そう、現在、あの「DOC」の版権を買って
  「AportisDoc」を発売している会社である。
  他にも「BrainForest」などの商品もここが出している。
  なお、このLau氏はMacユーザなら忘れることの出来ない
  「StuffIt」の作者でもある。ある意味、Mac世界から
  とんでもない大型プログラマがやってきた!という感じだ。

 ・ところで、「AportisDoc」の原形である「DOC」のこと
  だが、Rick Bram氏の作品だということはわかっているのだが、
  この人のサイトが現在では「Aportis Technologies社」への
  リンク窓口になってしまったために、また、「DOC」の
  ReadMeには年月日つき履歴のようなものがないために、
  このPilotの標準ソフトになってもおかしくない
  代表的ソフトの第1号リリースの時期がわからない。
  ご存知の方がいたら教えて欲しい。これだけはどうしても、
  この年表に載せておきたい。

 
金井克光氏がJ-Info 1.0とAbroad 1.0をリリース。

 
・日本のPilotウェア作家で、神様の次に有名な人といえば
  この人かもしれない。J-Info自体は「隙間産業」的なソフト
  ではあるが、このソフトの登場によってPilotはシステム手帳と
  互角に戦えるようになった。機長は個人的に「年齢計算」が
  気に入っている。これは便利だ。

 ・AbroadはJ-Infoの英語版と言ってしまえばそれまでだが、
  これ単体でもどんどん進化を続けており、J-Info同様、
  着実なバージョンアップを続けているのも嬉しい。

 ・この時期、アメリカでは着々とPilotが市民権を持ちつつ
  あった。そして日本では神様らの手によって、基礎的な土壌が
  完成しつつあった。すべては順調に進んでいた。
  Pilotがこの世に登場してからちょうど1年がたとうと
  していた。まもなくUS Robotic社から新型Pilotが発売される。
  同時に新OSも!
  そんなある日、びっくりするようなニュースが外電で
  飛び込んできた。Pilotはいつも、さあこれから!という時に
  いつもビッグニュースにぶつかる!

to be continued


次回は、Palm Pilotが登場する。
どんなお話になるのか?いつ公開されるのか?
・・・は、機長も知らない。





【参考文献】

"Pilot ナビゲーションブック"
Published: Aug. 5, 1997
BY 渡辺健一+山田達司
日経BP社

今回の山田さん絡みの話のネタもとは
すべてこの本です。
単にPilotのガイドブック的な要素だけでなく
山田さんがJ-OSを開発するまでのドラマが日記風に
生々しく描かれています。
Pilotファンのバイブル・必読書です。
機長はあえて
歴史的事実以外は抜粋しないようにしたので、
この年表を読んでしまった人は、
この本を読んでもっとリアルな
神様の戦いぶりを存分に味わって下さい。
絶対後悔しません!

おまけにHackMasterの作者Keyesさんや
J-Infoの金井さんと神様の対談まで載っている!


"Pilot Light Profile: Edward Keyes"
Released: October 6, 1996
BY Thomas R. Karlo
Pilot Light

HackMaster公開直後のKeyesさんへの
インタビューです。
インタビュアもまだHackMasterよりも
AppHackの方に注目しているのが興味深い。
Keyesさんが「2年後(つまり今年の夏)のPilot」に
ついての予想をしているのも楽しい。

"Daggerware Basics"
"Edward Keyes"

Released: ?
BY Edward Keyes
Daggerware

Keyesさんの会社のHPです。
前者は会社の概要。
後者はプライベートも含むKeyesさんのことが書かれています。
もちろん同社のソフト"HackMaster"や"DinkyPad"に
関する情報やダウンロードも。


"PILOT MAIN PAGE"
Released: June, 1996
BY SLUBOH
「PILOT MAIN PAGE」
日本初のPilot系ホームページです。
「日本Pilot史の明治村」!
日本Pilot黎明期の雰囲気を味わうために、
お休みの日にでも一度訪ねてみては?

その他


今回の年表は、
非常に少ない資料をもとに書いています。
という訳で、
「こんな資料なら持ってるよ」とか
「こんな歴史的事件を抜きには語れないだろう」
という情報をお持ちの方、
また「をいをい、間違ってるって!」と
気づかれた方は、
「Pilotの歴史編纂委員会」までご一報を。

機長



「Pilotの歴史編纂委員会」の
宛先はこちら。


1998年2月18日





Pilotの歴史

その1

その2



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