Pilot
Air
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Pilot史上たぶん初の
Pilotの歴史
〜読む年表〜
かなり煽った前フリのわりには
なんだ〜ってな企画ですが、
そういうものが見当たらなかったので
作ってみました。
今回まずは前編からです。
先史時代
この世にまだPilotは存在しなかった時代
(1903〜1989)
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| ■アメリカ・キティーホーク岬でライト兄弟が人類初のPilotになる。 ・兄弟なら、普通はどっちが先に乗るかで兄弟げんかに なるものだが、ライトさんちの二人ははどうだったのだろうか? @ |
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| ■東京代々木の練兵場で徳川・日野の両大尉が 日本人初のPilotになる。 ・徳川ってことはたぶん、1868年にクーデターで失脚した あの一族の関係者だろうか? @ |
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| ■東京高等商船学校教授の並木良輔が「株式会社並木製作所」を 興した。 ・これだけ書くとなんのこっちゃ?と思うだろう。ところが、 この会社の誕生が後に「ある事件」へと発展することになる。 これはその伏線の伏線。 @ |
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| ■「株式会社並木製作所」が名称を 「パイロット萬年筆株式会社」に変更する。 ・ここまで来ればわかる人はわかる。 わからない人はわからない。わからない人も、 この年表を読み進めばそのうち、わかるはず。 @ |
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| ■石原裕次郎が「俺はパイロット」をリリース。 ・もちろん歌です。 歌詞の中にある「粋なもんだよパイロット暮し」という一節は、 ある意味、その後のPilotの誕生を予告していたような、 もしくは、何にも考えていなかったような・・・。 @ |
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| ■Dr.Robert Metcalfeが、3Com社を創設。 ・現在Palm Pilotを製造販売している会社3Comが誕生したのは この年でした。ちなみに、会社名にある3つのComとは 「Computer, Communication, Compatibility」だそうです。 だとしたら、洋服の会社「3M」の3つのMって何?と 気になるのが人情だ。 @ |
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| ■北海道別海町が「第一回別海町パイロットマラソン大会」を 開催。 ・だからどうした?と言われても困る。ただし、 今年もこのマラソン大会は続いているらしい。 頑張れ、別海町!PilotファンならPilot片手に是非走ろう。 @ |
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| ■コナミ社がテレビゲーム「タイムパイロット」をリリース。 ・機長はこのゲームのことを覚えていない。 @ |
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| ■「パイロット萬年筆株式会社」が名称を 「株式会社パイロット」に変更する。 ・出世魚のように名前を変えながら、「株式会社並木製作所」は ついに「株式会社パイロット」になった。「あの事件」が 起こるまであと8年。 ところで、この年表を作る過程で知ったことだが、 この「株式会社パイロット」さんもスタイラスペンを 発売している。それがPILOTの発売前だったのか後だった のかは不明だが、確かにちょっと紛らわしい。 @ |
原始時代
PDA市場とHawkins社長の苦悩
(1992〜1994)
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| ■Jeff Hawkins氏がLos AltosにPalm Computing社を設立。 ・今回の資料調べで機長は初めて知ったことだが、 このHawkinsさんこそ、PilotおよびPalm Pilot生みの親だった。 Macintoshにおける二人のSteveに当たる。 なお、このHawkinsが興した会社、Palm Computing社は もともとソフトウェア専門の製造販売会社だった。 しかも、当時まだ生まれたばかりのPDAというちっぽけな 市場だけを対象にした、よく言えばベンチャーな、 悪く言えば零細企業だったらしい。 @ |
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| ■Apple社がNewtonを発売。 ・さっきも書いたが、この時期のPDA市場はまだ黎明期に あった。そんな中、1993年の初頭、当時飛ぶ鳥を落とす 勢いだった最先端コンピュータ会社のApple社が 鳴り物入りで世間に発表したのが、まったく新しい タイプの新型ハンドヘルドデバイス・初代Newtonだった。 その結果は?・・・ ■Newtonの売れ行き、いまいちパッとせず。 ・いつの時代にも先進的な技術とリンゴマークの製品に 対して熱狂的な愛国心を示す通称エバンジェリストたち、 つまりMacintoshマニアたちを除く、一般大衆からは そっぽを向かれてしまった。とくにその売り物だった 「手書き認識入力システム」のダメダメさは致命的で、 シリコンバレーのジョークのネタとしてかなり もてはやされたらしい。ということは当地の学校なんかで 「こんな簡単な問題も解けないなんて、お前の頭は Newtonの手書き認識入力システムか?」とか言われて いたのだろうか? ■カシオ社、America Online社など6社が共同開発した Zoomerが発売される。 ・同年10月、いまいちパッとしなかったNewtonの失敗を 跳ね返すべく、PDA市場に大型新人が登場した。 それがこのZoomerだった。カシオ社、America Online社、 Tandy社、OS企業のGeoworks社、財務ソフト企業のIntuit社、 そして新興ソフトベンダーのPalm Computing社の6社が 共同で開発した製品だった。(ここで改めて確認しておくが、 我らがPilotの父・Hawkins社長のPalm Computing社は あくまでソフトウェアベンダーであり、このZoomerに 関してもソフトだけを作って、ハードについては いっさい他社任せだった) @ |
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| ■Zoomerさっぱり売れず。 ・Newtonに続き、鳴り物入りで登場したZoomerだったが、 1993年のクリスマスシーズン直前という絶好の タイミングに市場に投入されたにもかかわらず、 値段の高さも災いしたのか、さっぱり売れなかった。 というか、洒落にならないくらいに売れなかった。 資料によると94年の1月末までに売れたのはわずか1万台。 これ以降も、同プロジェクトに参加している 我らがHawkinsさんのPalm Computing社は、 PDA市場発展のために数々のソフトウェアを開発し 続けていくことになるが、ハードが売れないのに ソフトを作り続けても、それはアフリカで ホカロンを製造販売するようなもので、作れば作るほど 会社の財政はひっ迫するのみだった。 Hawkins社長はPDAの未来に賭けていた。 ところが、PDA市場はどんどん先細りしていく だけだった。ある調査によると、同年末までに PDA市場は10兆円以上の損失をいたずらに計上していたという。 @ |
古代
Pilot誕生前夜
(1994〜1996.2)
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| ■Hawkins社長はBruce Dunlevie氏と会い、 彼のアドバイスに従って、自分自身の手でまったく新しい PDAマシンを作ることを決意した。 ・夢に向かって頑張れば頑張るほど会社の経営が傾いて いくことにHawkins社長も、そろそろキレかけていた。 彼の中では、ハードウェアメーカーへの不満が溜まりに 溜まっていた。「あいつらがまともなマシンを 作らないからPDAマシンは売れないんだ!」 ・それはある春の日のことだった。Palm Computing社の 役員の一人だったBruce Dunlevie氏のもとにHawkins社長は やってきて、いつものようにハードウェアメーカーへの 愚痴をこぼし始めた。するとDunlevie氏は、Hawkins社長が 予想もしていなかった、とっぴょうしもない提案を してきた。「愚痴はもういいから。それより社長、 どんなPDAマシンが売れるか?社長はわかってるの?」 Hawkins社長も負けてはいなかった。「当たり前だ」と 売り言葉に買い言葉で返した。それに対してDunlevie氏は あっさりと言った。「じゃあ、自分で作れば?」 ・このDunlevie氏の提案がどれくらいとっぴょうしもない 提案だったかを知るためには、当時のPalmComputing社の 社内事情を再確認する必要がある。昨年末には大失敗した PDAマシンZoomerの開発に関わったとはいえ、この会社、 あくまでソフトウェアの製造販売会社である。実際、 この会社の当時の全社員28人のうち、一度でも ハードウェアの製造に関わったことがある人間は、 Hawkins社長ただ一人だった。しかも、そんな社長とて、 ハードウェアに関しては大した実績もないただの ソフト会社の社長だった。ところが、彼は決意した。 その原因は、彼が勇敢なパイオニア精神を持っていたため なのか、それとも単に無謀な性格だったのか、あるいは それくらいの賭けに出ないかぎり倒産は免れないほどに 会社の経営が逼迫していたのか?その真相はわからないが、 とにかくHawkins社長は一世一代のギャンブルに 賭けてみることにした。 ■Hawkins社長が、まったく新しいPDAマシンの開発に着手。 ・開発を決意した社長が真っ先にやったことは、自分ちの 洋服ダンスにあったワイシャツ数枚の胸ポケットのサイズを ひとつひとつ採寸することだったという。その真意は、 新しいPDAマシンのサイズを決定するためだったと 伝えられているが、もしかしたら、PDAマシンの開発に 万が一失敗した場合のアパレル業界への転職準備だった のかもしれない。 ・続いてHawkins社長は、木製のブロックを削りだして、 横幅7.8cm、縦幅11.5cm、厚さ1.5cmの木箱を作り上げた。 それはまるで木箱というよりも上等なお店の 「かまぼこ板」に似ていた。だが、現在販売されている Palm Pilotの形にはもっと似ている。つまり、彼は開発の 第一段階からすでに、ワイシャツの胸ポケットに入る サイズのPDAマシンを想定していたらしい。 ・そして彼は開発に着手した。経営上の問題もあったのか、 新しい従業員を一人も雇わなかったので、社内唯一の ハードウェア製造の経験者である、彼一人の 孤独な作業である。 ・伝説には逸話がつきものだが、この時期の社長が、 鉛筆で例の「かまぼこ板」に何か文字のようなものを 書きながら、廊下をフラフラ歩いているのを従業員が 目撃した。ちょうどそれは社長が数年前から暖めていた アイデアのひとつである「Graffiti」認識入力システムを 研究していた時のことだった。ということになっているが、 あまりに話がよく出来過ぎているような気がしてならない。 ま、いっか。 ・また、Hawkins社長は新しいPDAマシンに関して、 以下のような4つの目標を建てた。 (1)ワイシャツのポケットに入る (2)パソコンとのリンクが簡単 (3)ライバルは紙と鉛筆だから手軽さとスピードが肝心 (4)値段は299ドル以下。 こうした4つの目標に関して、同業者や業界アナリスト たちは嘲笑い、陰口を叩いたという。 「赤外線ポートぐらい付けなきゃユーザは喜ばないね」 とか、「デバイスカードの差し込み口もないって、 いつの時代のマシンだよ?」とか。これもまた 「伝説」とか「栄光なき天才達」には付きものの 場面である。「知ってるつもり」の再現ドラマなんかでも この手のシーンは外せない。 ■同年秋、Hawkins社長は、開発中の新型PDAの仕様書と モックアップ模型を準備して、周辺のショップに配った。 @ |
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次回は、Pilotが誕生して以降の歴史。 そしてたぶん、あの男が登場する、アジアの片隅で。 @ |
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Pilotの歴史 | ||
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