前回(7/17分)のこの欄で書いた、
機長のフリーウェア&シェアウェアに関するコメントについて、
いろいろとメールで感想を貰った。PalmPilot-MLの方にもいくつか
見かけた。いろんな内容があって、一言でまとめるのはアレだが、
おもに2点。
A)フリーウェアは怖くない。
B)Unixのフリーウェア文化についてご存じないのでは?
だいたい以上の2点にわかれる。
そこで、機長からの返事をここでまとめて書く。
A)に関しては、「機長は逆説的な表現を使っているだけなので
もう一度読み直していただければわかってもらえると思う。
妙な表現を使っていることについてはお詫びしたいと思うが、
これは機長がずっと続けている文章スタイルなので
我慢してもらいたい」
B)に関しては、「実際、機長はUnixのことを数年前まで
陶器メーカーだと思っていたくらいで、
ほとんどと言っていいほど知識はない。
その意味では、まったくその通り!
ただし、皆さんから貰ったメールや
リンク紹介の中で知った
Unixのフリーウェア文化についての話を聞いても、
前回の文章との矛盾点を見いだすことが出来ない。
でも、(A)と同様、妙な表現を使っていることについては
お詫びしたいと思うが、これは機長がずっと続けている
文章スタイルなので我慢してもらいたい」
カッコ悪いのであまりしたくはないが、あえて前回の文章を
別の表現で書くと、こうなる。
フリーウェアのフリーは「無料」という意味だが、
その「無料(=フリー)」には何らかの意味がある。
こういうことだ。Unix文化の美しい伝統だという「すべての
ソフトウェアは、すべての人の共有物であるべきである」という
思想についても、この思想なくしてその「フリー」は説明できない
わけで、「フリー」にはちゃんと意味がある。
また、ソース公開の有無に関する議論についても同様で、
少なくとも住人のすべてがプログラム環境を持っていないと
思われる現在の Palm/Pilot社会では「ソース公開の有無」という
概念なしには、その「フリー」を説明することは出来ない。
と、機長は考える。
ということは、機長の前回の文章との間にとくに矛盾点は
見いだせない。
皆さんから貰った意見を読んでもウムウムその通り!
としか答えられない。
ただし、ひとつだけ例外があることもお伝えして
おかなければならない。原始共産主義によって貫かれている国から
このサイトをご覧になっている皆さんへ。皆さんの社会は
機長が住んでいる国とは別の経済システムで貫かれているので、
機長の前回の文章を読んでもなんのことだかさっぱり
わからないと思う。それこそ、皆さんの社会では、
フリーウェアよりもシェアウェアの方が特殊なのかもしれない。
「すべてのソフトウェアは、すべての人の共有物であるべき
である」というUnix社会のステキな思想を聞いても、
そんなの当たり前じゃん!と思ってしまうことだろう。
そして最後に、感謝の言葉を述べておきたい。
機長宛にメールをくれた皆さんも、PalmPilot-MLでコメントして
下さった皆さんも、みなさん一様に、
「でも、パーム航空は好きです」とか、いろいろ機長の
精神状態のバランスを気づかったと思えるコメントを
添えてくれた。これは本当に全員そうだった。
機長はとっても嬉しかったし、何よりもPalm/Pilot社会の住人が
みな一様に余裕ある心配りを持っていることが嬉しい。
自分はいい社会にいるな、と思う。
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