PAL118便
作家とのつきあい方








 
プログラマとプログラム





タイトルにある「作家」とは
いわゆる「小説家」の意味ではなく
一般に「プログラマ」などと呼ばれている
Palmware(つまりPalmのためのソフト)の
作者たちのことである。

今日はそんな「作家」について書く。

機長は、たまにオフ会などの席上で、
Palmware作家の人に、
「αテスト中」のプログラムを
見せてもらうのが、好きだ。

その理由。

ひとつには、先進のプログラムに一足速く触れることが出来る
というきわめて純粋な喜びがある。
が、もうひとつ個人的な別の理由がこれにはある。

それは、私が理科系的な知識に甚だ疎いために、
「0」と「1」だけで魔法の仕掛け(ソフト)を作ってしまう
Palmware作家たちのことを、
ともすれば機長が「尊敬し過ぎてしまう」ことを防止する
という目的である。

尊敬しすぎちゃダメなのか?

その疑問はわかる。
そこでもうちょっと詳しく説明する。

とくに、
「バグの少ない高機能なPalmware」を日常的に使っていると、
これを作ったPalmware作家もまた
「バグの少ない高機能な」人間だと
勘違いしてしまうことが機長にはたまにある。

そうなると、
機長はそんなPalmware作家のことを「人間」というよりも
「人間以上の存在」であると勘違いしてしまう。

たとえば、J-OSに初めて出会った時、
機長はその作者である山田達司さんのことを「神様」だと思った。
(※機長が山田さんのことを「神様」と呼んでいる原因は、
必ずしもそのプログラムだけにある訳ではないが、
本筋から逸れそうなのでその話は別の機会に護る。)


そんな機長の、
優秀なPalmwareを作ったPalmware作家たちへの盲信を、
自ら全否定するつもりは毛頭ない。
だが、実際に会ってみると、
Palmware作家たちはやっぱり「人間」なのである。

ま、当たり前といえば当たり前だが。

もちろん、
(これはPalm/WPJユーザやってて
ホントに良かったなと思うのだが)

Palmware作家のみなさんは
その自作プログラムに負けないぐらいに
魅力的な人ばかりだ。

まさしく彼らは「作家」だ。

だが同時に、彼らは確実に「人間」であり、
たいていは個人的な「職業」を持ち、
そしてその多くが「家庭」を持ち、
そんなはざまで様々な葛藤をしながら
Palmwareを作っている。
どうしようもないくらいに、彼らは「人間」である。

だから、自分のプログラムの評判や使われ方に一喜一憂するし、
仕事や家庭の軋轢(あつれき)の中でどうやって
よりよいPalmwareを提供するかで頭を悩ませている。
もう一度言うが、彼らはそんな我々と同じ「人間」である。

そんな彼らが、
もっとも人間っぽい行動を見せてくれるのが、
自作のα版をオフ会などで
こっそりと見せてくれる時である。

正直言って、とっても嬉しそうだ。
そりゃそうだ。自分の赤ちゃんの
写真を初めて他人に見せる人間が
必ず笑顔なのとそれは同じ種類のものだ。
そして実際、
(そのすべてが!とまでは言わないが、そのほとんどは)
先進性やアイデア、デザイン性などで
十分に機長を驚かせ、感動させてくれる。

だが、同時に、「α版」の場合には
作者の笑顔だけでは終わらないことの方が多い。

「α版」とは
いわゆる「β版」(一般公開するテスト版)よりも
まだ熟成が進んでいない、
というより熟成以前の
「胎内児」みたいなPalmwareなのである。

だから、いろいろ「すげ〜すげ〜」と
みんなで触っているうちに、
またはPalmware作家が
「こんなことも出来るんですよ」と
幸せそうな表情とともに実演しているうちに
必ずと言っていいほど
「α版」の奴らは、
バグったりオチたりしてしまう。

生まれたばかりの赤ちゃんが
さっきまでとても可愛らしく笑ってたと思ったのに、
いきなり客の前でアホな子供のように
ピーピーと泣きわめいたり、
ウンコをしてしまうようなものだ。
α版なのだからそれは仕方ない。

赤ちゃんは人前でも平気でウンコをするように、
α版はデモ中でも平気でバグる。
これはしょうがない。

機長もそんなことは百も承知で
「α版」を見せてもらっている。
だって赤ちゃんは可愛いから。

だが、Palmware作家にとってはそうではないらしい。

たとえ「α版」とは言え、
他人の見てる前で自分の可愛いPalmwareが
ウンコをしてしまったのだ!
これは「一大事」だ。

だから大慌てをする。
「え?え?え?おかしいな〜!」とか
「もしかしてこっちのメニューに触れた?!」とか
大汗をかきながら、
デモを続けるための必死の修正作業に入る。
よくてソフトリセット、
最悪はすべての大事なデータを犠牲にしてでも
ハードリセットで。

あの、普段の温厚な人格で知られる「神様」ですら
機長に見せてくれた最新Palmwareのデモ時には
何度もバグるたびに大汗をかいていた。
神様が他のPalmware作家と違っていたところは
バグが起こるたびに
次々とバッグから新しいPalm機を取りだして
デモを続けたぐらいで、
やっぱり、かなりの焦りとともに、
「この子は夜中に弱いから」とか
懸命な言い訳をしながらバグまみれのデモをしていた。
(それにしても神様のバッグには
いったいいくつのPalmが入っているのか、
当時はそっちの方が気になった)

話を少し戻そう。

正直言って、先進のPalmwareで、
しかも公開前のPalmwareがバグまみれなのは
当然といえば当然で、
バグが出ないようなら
すでに公開していてもいいはずだ。
それをしていないのは、まだ「α版」だからで、
つまりバグとは切っても切れない関係にある。

で、機長は何も、そんなPalmware作家たちの
恥ずかしいところを公開して
こっそりとニヤニヤしたいために
こんな話をしているのではない。

くどいようだが、彼らは「人間」なのである。

かなり魅力的な人間かもしれないが、
我々と同じ「人間」という哺乳類であり、
だからこそ
その子供(=つまり、Palmware)については
他人には伺い知れないほどの
愛情を注いでおり、
「必死」だし、「他人の評判」が気になるのである。
決して彼らは、公開したPalmwareのように
「魅力的な上に絶対に壊れない
『0』と『1』だけで組み立てられたプログラム」ではない。

だが、普段「魅力的な上に絶対に壊れない
『0』と『1』だけで組み立てられたプログラム」を
使い続けていると、
ついついそういうことを
忘れそうになる。

機長もたまに忘れる。

この話をまず
機長はどうしても確認しておきたかった。




さて、

なんか、今回の機長の文章は
いつにもまして「くどい」ぞ、と思った読者は
かなり勘がいい。

こんな時の機長は
何か、
とっても言いたいことがあって
文章を書いている。

実際、いつもなら
「更新作業が楽なTopPageの時刻表」に書くところを
わざわざ定期便に書いている。
特別な企画でもないのに。

これだけでも、
機長にしては珍しいことだ。

で、そろそろ本題に入ろうと思う。

きっかけは
「PiloWeb」や「PiloDoc」などでおなじみの
CHEEBOWさんのサイト「Palmで行こう!」に出ていた
CHEEBOWさんのコラムだった。

「Palmで行こう!」より
「Pilo雑記」1999/05/09

全文抜粋したいところだが、
「本人の直筆」を直接読んでもらいたいので
あえて全文抜粋はしない。
(まあ、「直筆」ったってテキスト書類なんだけど、
周囲のデザインまで含めた「直筆」って感じ)


このCHEEBOWさんの文章を読んで
機長はたまらなく哀しくなった。
涙はさすがに出なかったが、
これまで自分がやってきた活動、
とくに「一筆啓上運動」の無力さに
せっかく壊れたWPJの代替マシンとして借りているWPJを
壁にぶつけて壊したくなった。
この衝動はすんでのところでやめたが・・・。

今回のようなケースは
必ずしも今に始まったことではない。
まさに機長が「一筆啓上運動」を始めたきっかけこそが
こういうケースを防止するためにあったと言っても
過言ではない。
(詳しくはココを読んで欲しい)

簡単に言うとこういうことだ。

「ただより怖いものはない」

・・・と、機長はかつて、
きわめて誤解を生みやすい言葉で
表現したことがあるが、
フリーウェアは「野山の山菜」ではない。
山菜農家が精魂込めて作った「畑の山菜」だ。

だから、「野山の山菜」が
フリー(無料)なのと
山菜農家の「畑でとれた山菜」が
フリー(無料)なのとでは意味がまったく違う。

(※もちろん「野山の山菜」が無料と言っても
厳密には土地の所有者の者だ。
本当は無料かどうかはわからない。
「たとえ話」なのでその辺については省略した)


かつて機長が「ただより怖いものはない」という言葉で
表現したかったのは、別の言い方をすると、

「フリーウェア」とは
「無料ソフト」という意味ではなく、
「無料にしているソフト」なんだよ、ということだった。

道端に咲いている「山菜」と
道端から手の届く「畑」に咲いている「山菜」の関係に
その違いは似ている。

つまり、無料には「何らかの理由」がある。

そういうことだ。

この意味の差はデカイ!

「有料のソフト」と
「有料にしているソフト」は
ほぼ同義語だが、
「無料のソフト」と
「無料にしているソフト」の違いは
ボーッとしてると見逃しそうだが、
決定的に違う!

だから「フリーウェア」は「怖い」と機長は表現した。

別に「恐ろしい」という意味ではない。

「シェアウェア」の場合、
ある種「お金さえ払ってしまえば」、
販売者(その多くはPalmware作家)と
購入者(我々)の関係がとてもシンプルな関係になるが、
「フリーウェア」の場合は、
その関係は複雑だ。

というか、一個一個のソフトや作家ごとに
違う意味がそこには含まれている。

普及させたいから「無料」、
まだバグが多すぎるから「無料」、
お金に困っていないから「無料」、
将来有料にする時のためにシェアを増やしたいから「無料」、
広告が入っているから「無料」、
実は中にとんでもないウイルスが含まれているから「無料」、
みんなに使って欲しいから「無料」
Sharewareと書くつもりでFreewareと書いてしまったから「無料」、
・・・
と、ここには書ききれないくらいの
「無料」の理由がある。

しかも、Palmware作家がいつもその理由を
書いている訳じゃないから
「フリーウェア」の場合、
その理由はユーザが勝手に理解するしかない。
だから、機長は「ただより怖いものはない」と書いた。

そして、
「無料」だったソフトを「有料」にするのは許せん!
という、しばしば起こる不毛な論争が二度と起こらないようにと
「一筆啓上運動」を推進してきた。

ところがだ、
今回のCHEEBOWさんのケースでは
フリーウェアvsシェアウェア論争以前のレベルで
問題が発生した。

なんと「メールウェア」に対してだ。

「メールウェア」とは、
多くの読者はすでにご存知だと思うが、
いちおう確認しておく。

そのソフトを使う対価として、
ユーザに対して「作者へのメール」を要求する。
それがメールウェアの基本的な形態だ。

おもに作者が、ユーザの感想を知りたかったり、
世界中からのメールを集めたかったりする場合に、
このメールウェアという配付形態が使われることが多い。

そして、
「作者へのメール」さえ送れば、
ソフトにつけられた制限の「解除キー」を送りますよ、
というのが基本的な形だが、
場合によっては
「解除キー」とかはなしに、
「制限はないけど、メールが欲しいのでメールをちょうだい」
という程度の意味で使われることもある。

おそらくCHEEBOWさんとしては
ユーザの声を聞きたい。
だから「メールウェア」にした。

ま、別の理由でもいいのだが。

メールを送るぐらい、そんなに大した負担ではないだろう。

フリーウェアだとなかなか感想のメールが届かない。
だからシェアウェアにしている作家もいるという
現状を考えると、
きわめてユーザに優しい判断だと言える。

「たかがメール」である。

もちろん、その「たかがメール」だって、
紙のメール(郵便物)ほどじゃないにしても
ごくごくわずかながら地球の限りない資源(電気?)を使ったり、
インターネットのトラフィックに圧迫を加える(?MB)ことは
あるだろう。
また、たった一通のメールを送るだけならば
十数円の電話代がユーザにかかることは
機長だって知っている。

だが、「たかがメール」である。

そんな「メールウェア」さえも許せないとは
なんてことだ?!

しかもその人の環境には運悪くインターネット環境がなくて、
しょうがないから地上郵便でハガキを送りました、
と言っても、作家はそれを認めたはずだ。
というか、それ以前に
そのユーザは「メールウェアは許せない」というメールを
作者宛に送っている。

機長は当事者のメールを直接読んだ訳じゃないので、

ここはCHEEBOWさんの主張を一方的に認めるしかないのだが、
どうやらその特定のユーザからのメールの内容は、
下記のような内容だったらしい。

一方で「自由に使ってください」的なニュアンスで
表現しておきながら、「メールを要求」するとは何事だ?

こんなメールを貰ったら、
機長だってキレるさ。

しかも、CHEEBOWさんは「Palmware作家」である。

ここで冒頭に書いていた
長い長〜い前フリが意味を持ってくるのである。

Palmware作家だって「人間」だ。
「マシン」でも「プログラム」でもない。
ただの一個の「人間」だ。

とくに、自分のプログラムに関することは、
それがどんな内容の評判であれ、
一喜一憂してしまう生物なのだ。

そんな生物のところに、
「(自作プログラムの代価として)メールを要求するとは何事だ?」
というメールが届いたのである。

そんな哀しいメールが届いたら傷ついてしまう。
「メールウェア」にしたことさえ後悔するのかもしれない。

そして、本当に哀しいことだが、
CHEEBOWさんはとうとう、PiloWebを
「メールウェア」から「フリーウェア」に切り替えた。

心優しきCHEEBOWさんは
これ以上傷つくことよりも
一番安全な方法をとった。
(機長は二度ほどCHEEBOWさんに会ったことがある)

機長はとっても哀しい。

そんなCHEEBOWさんの決断を
機長は批判するつもりなど毛頭ない。

出来れば、
そのまま続けて欲しかったという願望は持っているが、
CHEEBOWさんの心理的なショックは理解できるし、
CHEEBOWさんが自分で作ったソフトに
どんな対価を設定しようと、
そこには機長の出る幕はない。

でも、哀しい。

とくにCHEEBOWさんだけに。

これにはさらに理由がある。

同じ「Palmで行こう!」の「Pilo雑記」1999/05/07に
こんな一節がある。


5月6日から会社員になりました。フリー生活とはおさらばです。
会社名は「M-Logic有限会社」。友達と二人っきりの小さな会社です。
主にWindows関係のアプリを作成していくのですが、
仕事の一部としてPalm関係のプログラミングもやっていこうと思っています。
日本で、Palmのプログラミングをやっている会社ってまだそんなに多くはないと思うので、
がんばって成功させて、ビジネスとしてのPalmプログラミングもあり! 
って感じになったらいいなぁ、と思います。

あ、というわけで、お仕事募集中です。^^;


こんなCHEEBOWさんの夢については、
機長もかつてご本人から直接聞いたことがある。

自分の好きなことを仕事にしていけたら!

それは、大枠において
誰もが認められる素敵な夢のひとつだと思う。

しかも、その夢は普通
なかなか遠いものだ。

多くの人が、その夢を見ながら
力尽きていく。

だけど、CHEEBOWさんはそれをやろうとしている。

しかも、
「日本のPalm/WPJコミュニティの規模としては
まだまだ大変なことだよ」と機長は言ったが、

CHEEBOWさんは、
でも頑張ってみたいんです。
と、機長に向かってまっすぐな目で語った。

そんなCHEEBOWさんの夢を
機長はできる限り応援したいと思った。

その理由には、
CHEEBOWさんがいい人だから、
というのもある。

でも、それ以上に、
まだまだビジネスとしてちゃんとは成り立っていない
日本のPalm/WPJの世界を
ちゃんとビジネスとして成り立つようにして、
より大きく&豊かな世界に広がって欲しい!

そうすれば、より素敵なソフトや
より素敵な周辺機器が登場するはずだ。
WPJの内蔵メモリについても
c3のように日本支社の訴えが
アメリカ本社に敗けたりすることもなくなるはずだ。

すでに日本のPalm/WPJコミュニティは
走り出している。
いつまでもボランティア精神だけでは
やっていけないし、最悪の場合、
やがて消滅する。

必ずしも機長はビジネス至上主義者ではないが、
少なくとも、素敵なソフトを書いた人間が
ちゃんとそれに見合った報酬を受け取ったり、
ものすごく素敵なソフトを書いているのに
会社では怒られまくって出世もおぼつかない、
なんて世界は正しい未来の姿だとは思わないし、
思いたくもない。

やはり、頑張った人間が頑張った分だけ
報われるようにならなければ
その社会にはやがて「哀しい限界」が訪れる。
その限界とは「趣味の限界」だ。

だから、日本のPalm/WPJコミュニティだって
ちゃんとビジネスが成り立つんだゾ、
というところを数年後のCHEEBOWさんに
見せてもらいたいと思っていた。


機長が「日本のPalm/WPJコミュニティで
ちゃんとビジネスが成り立つようにしたい」
と語っている場合、
そこに、たとえば「企業ユース」の意味だって
多少は含まれてもいるが、
必ずしもそれだけではない。
なぜなら機長は
企業生活とはほど遠い生活を送っているし、
Palm/WPJの魅力は本来、
コンシューマユースにこそあると信じているからだ。
だから、ここで機長が
「ビジネスとして成り立つ」と表現しているのは、
ユーザが確実にシェアと呼べるほどの数字まで増えて行き、
その内部に新しい二次的、三次的ビジネスが
誕生するような世界をイメージしている。
「そんな世界になったら
今の素敵な日本のPalm/WPJコミュニティは失われるよ」
という意見を黙殺するつもりはない。
機長にだってそれぐらいの法則性は理解できているつもりだ。
でも、素晴らしいけどマイナーなまま終わったり、
素晴らしいけどサードパーティに見捨てられたマシンよりも、
素晴らしいけどメジャーになったよね、というマシンに、
機長はPalm/WPJになって欲しいと思っている。
それが難しいことは知っている。
でも、今さら、太古の昔には戻れないほど、
Palm/WPJの存在は大きくなってしまった。
もう戻れない。


と、話はずいぶんデッカイことに
なってしまったが、
卑近な話で言うと、
もしも日本のPalm/WPJ社会で
ちゃんとビジネスが成り立つようになったら、
機長自身だって、
本職との葛藤の狭間で
この「パーム航空」をいつまで続けるべきか?とか、
「パーム航空」やめたら哀しむ人っているのかな?とか、
・・・なんて悩む必要はなくなるのだ。
だから、CHEEBOWさんの挑戦を応援したいと
機長は本気で思っていた。

なのにである。



まあ、今回の長すぎるこの記事に結論はない。

なんか面白いこと書いてあるんじゃないか?と
騙されてここまで読んじゃった人、
ごめんよ。

「メールウェアはけしからん!」なんて
言葉はけしからん!・・・ぐらいのことは
こんな長ったらしい文章を書かなくても
ほとんどの読者に説明できるだろうし、
ただ、機長はCHEEBOWさんのページで感じた哀しみを
誰かに伝えたくてこの記事を書いた。
というか、まだ書いている。

出来ればCHEEBOWさんには
今回の事件にめげず、素敵な夢を追いかけ続けて欲しい。

それは日本のPalm/WPJが目指す夢と重なっているし、
たぶん機長の夢ともそんなに遠いところにはいない。

とにかく、
機長はきわめてアナログな、
どちらかというと旧タイプの人間なので、
Palm/WPJがいかに素敵なマシンになっても、
それを使っている人間が素敵じゃなくなったら
嫌なのだ。

これはたぶん「日本のPalm/WPJコミュニティでも
しっかりとビジネスが成り立つ」という世界とは
相反するテーマだったりもする。

でも、だからこそ、
機長はこんな下らない文章を書いていたりするし、
パーム航空という、自分の仕事には
ちっとも役に立たないことを
続けていたりする。

ま、書きたいから書いているのも事実だけどね。

今回は、
「社説」ぐらいの気持ちで書き始めたが、
結局「自説」で終わってしまった。




じゃ。



PS:今回の記事はCHEEBOWさんとの利害で書いたものではないので、
この記事から派生してCHEEBOWさんに不快なメールが届くこと。
これを固く禁じる。(どんな方法で、かは聞くな!)
CHEEBOWさん、ごめんよ。こんなこと勝手に書いて。
逆に迷惑になるかも、とは思いつつも書いてしまった。

また、今回の記事に関して機長宛に、抗議等のメールを送ることは
自由だが、論争とかまでするつもりはないので、ご容赦いただきたい。
理由は、時間がないから。

いつものように機長は、誰かに何かを強要するつもりはない。
書きたいことを書き続けるだけだ。

書きたいことが書けなくなったらちゃんと
ちゃんとお金をもらわないと割にあわない。

実は例の
「Palm/Pilot」という俗称がいかん!という話に関しても
その理由がうちのページに「日本IBM」のバナーがあるから、
という理由だと聞いたので、
あの時は思わず
バナーの契約解除しようかと思ったぐらいだ。
別にこっちはお金が欲しくてつけてるわけじゃない。
その心意気に惚れて、
つけて欲しいと言われたからつけてるだけだ。

というわけで、
今日は珍しくヘビーな機長だ。

ま、たまにはこんな日もあるって。

数日前の時刻表に書いた
「猛烈に書きたいこと」というのが
今日のこれだった。
あ〜、スッキリした〜。






今日、二度目のじゃ。


1999年5月15日

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